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H氏の特殊すぎるキャリア

 以前の勤務先の上司だったH氏のこと。

 彼は誰もが知る大会社の出身で、私の勤務先の総務部長に迎えられた。就任早々、私に、

 「実務のことはわからんから、よろしくね。」

 と言った。すぐにそれは謙遜でもなんでもない事がわかるような出来事が続いた。

 ある時は、新しい社員寮の物件を決めた後、手付けを打つのを忘れ、新卒の受け入れ二週間前に別の物件を探す羽目になった。すでに新卒者には入寮案内を送ってあったので、私は全員とその親御さんにお詫びの電話を入れた。

 またある時は、警備会社の緊急連絡先リストのトップを、全て本社の一社員である私にしていたらしく、遥か遠い営業所に侵入者があった時、警備会社が真っ先に私に電話して来た。私が有給休暇を取っていた日の、早朝4時頃だった。

 一体この人は、あの大会社で何の仕事をしていたのだろう、と思っていたが、忘年会の席でご本人の口から聞く機会あった。

 彼の主な仕事は、元社長夫人のお世話係だった。有名人だった夫人は、毎週のように各地で講演会などのイベントに呼ばれて飛び回っていた。彼はそれらの手配をする。地域で一番の高級ホテルのスィートを押さえ、地元の名士たちとの会食の場を設け、会場の控え室には夫人の好きな花を飾った。リムジンが停められる場所から、会場のロビーまでレッドカーペットを敷き、邸宅から地方の会場まで、夫人は地面を踏むことがなかったそうだ。

 その会社での彼の最後の大仕事は、夫人の社葬だった。
 
 夫人が亡くなって、彼の居場所もなくなった。あまりに特殊なキャリアしかないのだから無理もない。伝手を伝って伝って、私たちの会社に職を得たのだった。

 しかし会社の業績が下がると、H氏不要論が出始め、リストラが始まると、送別会をする暇もないまま彼は会社を去った。

 それからのH氏のことはどこからも伝わってこない。あのキャリアが生かせる職場は見つかっだろうか。決して悪い人ではなかったのだけれど。

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