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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第13回(30歳:双極性障害でもチャレンジをしていきたい)

〜30歳(2013年4月)〜

(自ら、働き続けるのに問題ない、平常の幅を広げていきたい。今はまだ軽躁になってしまうラインも、訓練すればコントロールできる範囲に収められるにのではないか。)

この想いで、産業カウンセラー平日夜間コースの受講を4月からスタートしました。

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平日夜間コースは、職場から30分の場所で行われ、開始時間は18時半。

会社定時は18時でしたが、仕事に直結する資格だったことと、土日コース選択をして休日が減ることでの負荷の大きさを会社に納得してもらい、定時前に退社して受講が実現しました。

受講当初は、これから続く7ヶ月、ほぼ毎週の通学が出来るのか、正直自信はありませんでした。

実際、支援の仕事をした後、3時間の傾聴トレーニングは過酷。講義の時は眠ってしまうことも度々ありました 汗

私の所属するグループは11人で構成され、そのうち男性は私含め3名。私以外の二人は50代の社会人大先輩という状況でした。

社会経験で培った価値観をしっかりお持ちの二人は、傾聴して相手の価値観で話を聞くことに苦戦されていたようでしたが、私は社会人経験も浅く、元々得意としていた聴く事はスムーズにやれました。

ただ、色々な人と傾聴訓練を繰り返す中で出てきた私の傾向は

「男性で目上の人、役職の付いた人と分かると傾聴が出来なくなる」

というものでした。

男性の大先輩のお一人は大企業の部長さんでした。

その事が私の頭にあった状態で、私がカウンセラー役、部長さんがクライアント役をした時、

「部下が仕事が出来なくて困っているんですよ。というのも・・・」

という話をされた瞬間、私は

(出来ないのを出来るようにフォローするのが上司でしょう。上司としての仕事ができてない!)

と、部長さん自身を私が批判する思考が、勝手に浮かんでしまってました。

私にも苦手な相手、自分の強固な価値観があることに気付けたのは、多種多様な人と傾聴訓練をして得た成果でした。


一方職場では、自分の平常の範囲を広げること関連しながらも、別のチャレンジをしていました。

それは広報として、設定した目標を達成すること。


会社の認知度を向上させ「うつに関する取り組みをしている企業といえばリヴァ」となるため、目標として設定したのは3つ。

1.Yahooトップページ(Web)のニュース欄掲載

2.週刊ダイヤモンド(雑誌)のうつ特集掲載

3.ワールドビジネスサテライト(TV)出演

いずれも、多くの人に見てもらえ、企業が取り上げられやすい場所でした。

それぞれ掲載されるまでの施策を話すと、それだけでnote1回分になってしまうので割愛しますが、掲載までの泥臭い仕事あっての広報だなと実感する経験でした。

Yahoo、週刊ダイヤモンドの2つは2012年の時点で達成。

いずれの掲載の時にも、とてもテンションが上がりましたが、軽躁になることを防ぐため対処しました。

・(全身で喜びを表現し、人にも声を大にして伝えたい)という感情を胸に秘めて、最低限の人にだけ口頭で伝える。

・「浮足立たないこと」と声に出して自分に言い聞かせる。

・お風呂で一人のときに、喜びを表現してOK。

・掲載が決まった日は必ず6時間は寝る、もしくは布団の中にいる。 など。

ワールドビジネスサテライトはアプローチが難しかったのですが、過去の掲載記事を見て、2013年4月にタイムリーな特集があり、声掛けいただき決定しました。

これが決まったときは、待ちに待った事なので感情を抑えることが難しく、またTVは放送されるまで臨時ニュースなどで無しになることもざらにあるので気が休まりませんでした。

余談ですが、私は「人にいいモノを広めたい」のと「昔からミーハーでメディア業界に興味あり」という2点から、広報が好きで、自分にとてもマッチした職種だと思っています。
でも、双極性障害と合わさるとリスクがとても高い 汗メディア掲載は急遽決まることが多く、いきなり大きな刺激が起こる。
取材時のやりとりはスピードが求められる。
休日も対応必要で休まらない。人に広めることが仕事なので、多くの人とかかわらざる負えない・・・。
好きで向いてない限り、双極の方にはオススメできないですね 笑

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写真左でちょっとだけ写っているのが私です 笑

放送内容に一部、納得できない部分がありつつ、なんとか目標を達成することができました。

支援の仕事も、広報取材時は現場を離れるときもありましたが、必要最低限の広報対応にとどめ、基本は支援職として週5日働くことも出来ていたので、両方、手を抜かずやりきれたことは自信になりました。

そしてまた、広報に関してもう一つのチャレンジ。

それは、企業の広報担当者をインタビューしたいという依頼があり、私にも声がかかった時のこと。

過去にたくさんの企業広報の方が並ぶ、インタビューページを見て、

(この中でうちの会社が、私が差別化できることはなんだろう?)

そう考えた時に行きついたのが、

(うつの方の社会復帰支援企業、その広報担当が双極性障害の当事者で、実際サービスを受けたあとに社会に復帰して働いているということを発信すること。
これはうちの会社、私にしか出来ないのではないか。)

もちろん、こういう露出をすることで覚悟しないといけないとも思いました。

私が公に双極性障害と知れてしまう。調べればすぐに分かる状況。もう、病気を隠しての転職は出来ないだろうと。

でも、私を救ってくれた会社にいつか恩返ししたい。

その想いの方が強く、また自分自身も露出していつか活動していきたいという想いもあったため、病気を開示してのインタビューを受け、掲載していただきました

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個人のフェイスブックで共有したとき、多くの反響をいただきました。

開示した事により、自分自身を実験台としながら、会社をどう広めていくかをどこか楽しんでいるような感覚を持ち始めました。

〜31歳(2013年11月)〜

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7ヶ月、講座を休むこともなく無事受けきりました。

これは、当初考えていた「平常の幅を広げる」の第一歩を踏み出せた気持ちで、とても自信になることでした。

徹底した傾聴訓練。

客観的で具体的な指摘をもらったり、カウンセリングを受ける立場を経験したり、色々なタイプの方と面談出来たことは貴重な財産になりました。

そして、すぐに現場で活かせるものでした。

もちろん、支援の現場ではカウンセリングをしているわけではないので、社会復帰としての面談なのか、カウンセリングなのか、その違いを頭に入れながら線引をして、利用者さんに関われるようになったことはとても大きかったです。

〜31歳(2014年2月)〜

私としては過去の職業人生で初めて、2年以上の勤務を達成することができました。そしてこの月で、配属先が変わることになりました。

つづく

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