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妻・上司・友人から見える双極性障害のホントのところ

「冷静と情熱のあいだ」という小説を読んだとき、衝撃を覚えました。

2人の主人公、それぞれから見える景色や心情があり、それぞれの信じるものがある。

私自身も双極性障害の当事者として発信するのは一方的なもの。双極性障害を知ろうとする時、色々な側面から情報があってほしいと思われるだろうし、何より私自身が一番知りたい。

双極性障害の当事者として発信するのを機会に、色んな私の親しい人にインタビューしたり記事を書いてもらうことができましたた。それを以下にまとめてみたいと思います。

●妻から見た双極性障害のわたし

この記事をまとめるにあたって、一番自分が何を言いたいか考えたとき、生きることに困難さがある人を抱える家族ひとりひとりも、自分の人生を生きることを考えてほしい (というか自分自身、そう考えたい) ということでした。

近しい存在が大変な状況になっていれば、自分も影響は受けるし、 時に「この人(この子)のために」自分の人生を使いたいと思うこともあります。

しかし、あくまでその人の人生はその人が生きるもので、 家族には家族の人生がそれぞれにあります。
自分のことを大事にし、いたわったうえで、

「この人のためにできることは何だろう」
「この人とできることは何だろう」

と考えるほうが楽しいのでは、と個人的には思っています。

●上司から見た双極性障害のわたし

松浦:元々一緒に働けたらいいなという気持ちはあって、でも「事業の立ち上げ時期に人を雇うのは大変だから自分から頼んではいけない」と思っていました。それまで体調が悪くなると一方的に連絡を絶って退職することを繰り返してきたので、自分が関係を断とうとしているのに、手を差し伸べて必要としてくれたことが嬉しくて、泣いてしまいましたね。

青木:ただ優しさから誘ったのではなくて、僕の覚悟でもあったんです。リヴァとしてサービスを提供していくうえで、前職からよく知っている松浦さんが一緒に働けるくらい回復できない事業ならやっていく意味がないなと。ただ、一緒に働くなら疾病も含めて松浦さんをずっとサポートするよとも伝えました。

●友人から見た双極性障害のわたし

ヒデのこの告白で、私自身が、ものすごく学ばせてもらった

目の前その人はその人の一部でしかないということに。
人間誰しも、浮き沈みはある。

何をしてもうまくいかない日々が続いたり、どうしようもなく自分を責めてしまったり。

私自身も一人で抱え込みやすいタイプでもあるので、できる限り外で発散させたり、誰かに相談をするようにしている。
でも、これが、自分でもコントロールのできない、いわゆる「病気」だったら。

誰かに話したところで解決せず、そして、どこまでもずっと付き合っていくしかない病だったとしたら。

noteを読んで、何度も何度も絶望したんだろうな。

軽躁状態の時のように、真剣に自分を深く深く追い詰めていってしまったんだろうな。
やっぱり、人って、弱いところを他人に見られたくないじゃないですか。
自分のネガティブな面は、隠したい。黙っておきたい。

病気を受け入れることですら大変だったと思うし、それを友人や身近な人間に告知することは、どれだけ勇気がいったことか。

正直、最初はどんなインタビューや文章ができあがるんだろうかと、恥ずかしさもありました。

書いてもらって、自分のことを本当の意味で理解するのに役立つ情報だと思いました。

お願いして、よかった。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。