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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第10回(28歳:福祉サービス、社会復帰トレーニングでの3つの気付き)

〜28歳(2011年3月)〜

通院途中に体験した大きな揺れ、東日本大震災。震源が東北方面という情報が入り、C社の本社や拠点が東北にあったので

(あの人は大丈夫かなぁ。。)

と、身近な存在が頭に浮かび、とても他人事ではない心境でした。

とはいえ休職の身。

家でテレビを見て過ごすのが日課になっていたため、ACジャパンのCM、震災のニュース、緊急地震速報の音が繰り返される日々で、ただでさえうつ状態なのに、更に気分が滅入っていきました。

そんな中、一緒に新規事業立ち上げをやってた新卒A君から、私を心配するメールをくれました。

とても嬉しく、社会と繋がれている感覚が持てました。

C社は、3月末で休職状態のまた退職。

そのことを元上司の伊藤さんに伝えていました。

私を心配して「農作業は、うつに良いらしいよ」と、知り合いの農家さんのところに誘ってもらいました。

でも、1回目は当日朝にドタキャン。

そこを懲りずに誘ってもらい、少しずつ通院以外で外に出ることができるようになりました。

そんな時、改めて、伊藤さんが退職して、今後何をやろうとしているかの説明を受けました。

「うつ病などの精神疾患の方に特化した、社会復帰サービスをやろうと思ってる。病気で会社を辞めた人、または休職中の人が通えて交流できる場所、再発を繰り返さないようなトレーニングをし、今までの働き方、生き方を見つめ直す場所。
松浦さんにも、使ってもらいたいと思ってる。
新しいサービスなので、利用しながら意見ももらいたい。どうかな?」

私としては、他に何かやるあてもない。

トレーニングのイメージは正直つかなかったけど、伊藤さんからの提案であれば悪いものではないだろうと思い、利用を決めました。

”障害福祉サービス”というものだということで、利用手続きとして、住んでいる区の障害福祉課に問い合わせをし、担当の保健師さんと面談。その後、障害福祉サービス受給者証というものが発行されて正式に利用ができました。

〜28歳(2011年6月)〜

株式会社リヴァの社会復帰支援「オムソーリサービス(現リヴァトレ)」の利用が始まりました。

当初の利用者は3名。

手続きが間に合って、正式利用となっているのは私1人。

に対して、スタッフは4名という環境でした。

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開設まもないトレーニング施設内(写真中:青木さん 右:伊藤さん)

スタッフの中には、C社で人事をやっていた青木さんもいました。

過去のカウンセリング経験や人事経験などを駆使し、プログラム全体設計やコンテンツ作成などトレーニングの中身を構築したのが青木さんでした。

私は利用者でもあり、プログラムについて随時感想も聞かれていたので、一緒にサービスを作り上げていく感覚もありました。

それが私にはよかった。

自分が必要とされているという感覚は、自信につながりました。

双極性障害という視点で振り返ると、6月にサービスを使い始めた時から、私は軽躁になっていました。

気分が上がるパターンである「新しいこと」に関わっていたことが大きいです。

トレーニング開始時から青木さんに伝えていたため、「軽躁で上がってしまう気分や行動を抑える取り組みをしてみよう」という話になりました。

軽躁は通常以上にエネルギーを使っている。

すると、いつかそのエネルギーが切れてうつの方に落ちてしまう。

なので、軽躁でのエネルギー放出をおさえ、うつの下がりすぎを止める。

青木さんの説明がとても分かりやすく腑に落ちたので、人生ではじめて、軽躁状態をおさえることに取り組みました。

余談ですが、青木さんとはFacebook、twitterでもつながっており、私が軽躁時に投稿が多くなると、ダイレクトメッセージで「活動しすぎじゃない?」と連絡が来ました。笑 
監視下におかれてはいましたが、自分では気付けないので信頼できる相手であればそれ位協力してもらえると、対処訓練のひとつになるなと思います。

実際のトレーニングで、特に自分によかったものをあげるとしたら、以下の3つです。

1.グループワーク「マネージャーゲーム」

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5人1チームで取り組むワーク「マネージャーゲーム」。

これは、マネージャー(MG)1名、グループリーダー(GL)2名、スタッフ(S)2名という役割をきめ、役職ごとに別の指示書が渡されます(組織内の情報格差を再現)。

その指示書の内容をもとに、メールに見立てた小さいメモ用紙にお互いに依頼したいことを書いてやりとりをし、ミッションを達成するというもの。 

ここで私が一番学んだのは、「コミュニケーションレベルを上げる」ということでした。 

過去の私の仕事のやり方は、メールでの仕事依頼や調整が当たり前。電話や会って話す労力を惜しんでいました。

結果、メールだけでやろうとして話がこじれ、ストレスがかかり、病気にもつながる。

文字だけのやりとりでは限界があり、言葉以外の情報、相手の声や表情にあらわれたりするものが実は大事だったり、本音が混じっていたりする。

また、文字だけだとビジネスライクになりがちなので、メンタル面のフォローができるという点でも、少しでもこじれそうならメールよりも電話、電話よりも会う、というコミュニケーションの手段を上位にあげて対応することをこのワークから学びました。

(実際、今もこれで仕事上の衝突、ストレスがかなり減らせています。)

2.自然に囲まれた環境での農業プログラム

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今までの私の仕事は、「ネットショップ」「Web上仮想空間」「Webサイト製作」「Webマーケ」と、ネット上に軸を置き、オフィスにいて、パソコンとにらめっこして給与をもらう形でした。

この仕事を否定するわけではもちろんないですが、私にはどこか合っていなかった。どこかで虚しさを感じてもいました。

農業プログラムでは、太陽の下で土をいじり、草むしりなどの終わりのあってないような仕事を行い、自分が関わった作物が成長して、実際にそれを食べたりしました。

(人が働いて、生きるってこういうことだよな。)

そんな考えが、自然と浮かんできました。

ネットの仕事は、どこか地に足がつかない感じがしていた。農作業というネットとは対極の、古代からある仕事をやることで、人が身体を実際に動かして、血肉になる作物を育て、実際に口にする。

私がお金を支払うことで省略していた過程をちゃんと体験することで、生きるということを改めて考えさせてくれました。

3.自分のトリセツの作成

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私が軽躁になるときのきっかけは何か?その時の状態は?

どう対処すると、それは抑えられる?うつのときは・・・。

そういった、自分自身の気分の波(ムードカーブ)をコントロールするトリセツ(取扱説明書)を青木さんと一対一で作成しました。

ここまで自分について振り返り、まとめたことはなく、疾病をコントロールするという意識をちゃんと持つきっかけになりました。

〜29歳(2011年8月)〜

利用も3ヶ月目となり、自分なりの対処も見えてきたところで、社会復帰をどうするか考え出していました。

(社会人7年間で3回退職、気分の波が大きい自分は会社でまた働くのは不可能だろう。前職から経験のある広報を軸に、独立の道を検討しよう)

そう考え、独立につながるようなイベントに出たり人に会ったり、営業活動的なことをしてみますが、ポッと出の広報マンにはすぐに仕事が来るわけもなく。。

(独立って、自分が活動しなくなったら何も動かない。収入も自動で入ってくるわけではない。これでは生きていけない。社会復帰はムリだ。)

悪い思考のループに入り、一気にうつに。

そしてサービス終了まであと2週間というところで、引きこもってしまいます。

その後、携帯の電源も切って過ごして一週間後。

再度、電源を入れると青木さんからのメールがあり、恐る恐る確認しました。

「大丈夫ですか?心配してます。
プログラム後、他の利用者さんには会わない時間に来れそうであれば来ませんか?ちょっと話せると嬉しいです」

このままひきこもってても何も変わらない。

意を決して青木さんに会いに行きました。

松「話すのはとても恥ずかしいんですが。
実は、独立を考えていたんですがぐるぐる考えて落ち込んで。
もう社会復帰はムリかなと思いつめてしまって。」

青「でも、うつ状態になって一週間で持ち上がって来たのはすごくない?
今まで一ヶ月以上うつになったら戻ってこれなかったでしょ。
軽躁をおさえた効果が出たね!」

確かにそのとおりでした。いわれて気付いたことでした。

さらに、青木さんから思いもよらなかった言葉が。

青「伊藤さんとも話をしてたんだよ。 
松浦さんが独立して上手くいかないとなったときには、うちで受け入れることを。

うちで、ピアサポーターとして働くという選択肢もあるけど、どうかな?」


自然と、涙が流れてきました。


つづく

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