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全18回/双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方

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双極性障害を発症した大学4年から、うつ・躁うつ等の方々を支援する職について7年目までの14年間を記した自分史。
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#新規事業

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第3回(22歳:新卒入社での浮き沈み)

〜22歳(2005年)〜 入社日の朝、とても気分が重く、朝起きるのもつらかった。 何とか電車にのり、会社に向かう道で (ここで引き返すとどうなるんだろう。新卒で会社を入社1日で退職なんて、誰にも顔見せできない。) そんな考えがうかび、何とか会社にたどり着きました。 私が入社した会社は、名古屋で50年以上続く社員30名程度の食品原料の商社。 なぜ起業志望の私が入社したかといえば、当時60歳近い社長はとても考えが柔軟で、また原料商社というスタイルだけでは生き残れないので新

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第4回(22歳:刺激ある日々と退職の兆し)

〜22歳(2005年8月)〜 ところで、私の所属した部は何のネット事業をしていたのか? 主には「海外からペット(主に猫)用品を輸入し、楽天・ヤフーなどのネットショップで販売する」というものでした。 今でこそ楽天は有名になりましたが、2005年当時まだまだ世間はネットでモノを買うことに懐疑的。そんな中で、私たちの部は、ネットショップの販売だけで収益をしっかりあげ、法人化することを目指していました。 ただ、会社から私に言い渡されたのは、「既存の仕事をやってもらうつもりはない

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第16回(33歳:子育てと新規事業と気分の波)

〜33歳(2016年2月)〜子供が産まれる時、父親になる実感がわかず、嬉しさよりもやっていけるのかの不安が勝ってました。 ただ、実際生まれた子供の顔を見れば幸せな気持ちが湧き出て、 (この子のために、出来ることはしていこう) そう、自然と思えました。そんな自分にホッとしてもいました。 子供が生まれた数日後、仕事では市ケ谷という土地に異動になりました。 市ケ谷センターの入居するビル その異動から一ヶ月後には、1ヶ月間の育休。 育休に入る前には、新規事業「リライ

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第17回(34歳:大うつと5年ぶりの服薬)

〜34歳(2017年1月)〜 2016年暮れ、気分の浮き沈みはすごかった。 軽躁になっているのはスケジュールアプリの埋まり具合、また、ウェアラブル端末の睡眠記録からも明らかでした。 私の軽躁サインを可視化する、一番わかりやすい方法はGoogleカレンダの予定記録とウェアラブル(fitbit)の睡眠記録。 「スケジュール管理はGoogle」「fitbitは毎日装着して寝る」をやれば、勝手にデータがたまり、見返すと気分の上がり下がりが一目瞭然です。 (このまま行

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 最終回(35歳:双極性障害の当事者として実名顔出しする覚悟)

〜35歳(2017年11月29日)〜 伊藤さん(所属企業の代表)から、松浦個人の体験を発信していくアイディアをもらった帰り道。 少しずつ、確実に沸き起こってくる感覚がありました。 それは新規事業「リライフ」を立ち上げた時のような感覚。 そして、その時以上に地に足のついた今後の見通しでした。 (まずは、眠らせていたTwitterを再開させよう) リヴァの知名度を上げるためと、うつ病などの情報収集用のTwitterアカウント「双極ぴあさぽーたー(現 松浦秀俊@双極ライ