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前田耕作先生を悼む

在りし日の前田耕作先生(2006年4月23日、安達原美術館・涅槃仏前で挨拶)

 アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤンの文化財調査研究や保存修復活動に尽力されていた和光大学名誉教授でアジア文化史家の前田耕作先生が、2022年10月11日、89歳で死去された。その生涯や功績の一端は、このサイト(2021年10月31日、アフガニスタン往還半世紀の前田耕作さん バーミヤン遺跡調査など文化財保存活動を続ける|白鳥 正夫|note )の第五回で取り上げているが、あらためて追悼の文章を捧げたい。アフガニスタンの戦火は一応おさまったものの、不安定な情勢が続いている。前田先生にとってさぞかし心残りであったことだろう。

 前田先生と最後にお会いしたのは、2020年8月30日、奈良県が主催して開催した公開講演会「ユーラシア―文物と信仰の交流」だった。休憩のわずかな時間だったが、お互いの近況や、やはりアフガニスタンの動向などについて話された。まさかその時は、1年後にタリバン政権が復活するとは予想も出来なかった。

 2021年8月15日、アフガニスタンの反政府勢力のタリバンが首都カブールを制圧し、20年にわたるアメリカに支援されたアフガニスタン政府の統治に終止符が打たれたのだった。前田先生にとっても衝撃的な出来事だった。前稿でも詳細に書いている。(未踏の地、アフガニスタンで政変〜バーミヤン大仏破壊から20年の今後は〜|白鳥 正夫|note )タリバンと言えば、2001年に、世界の声に抗してバーミヤンの大仏を爆破している。

 前田先生は2004年春、「アフガニスタン文化研究所」を立ち上げ、『NEWS LETTER』を隔月発行し、アフガニスタンの最新ニュースを4ページ紙面に伝えていた。2020年5月、第50号をもって閉刊していた。しかしアフガニスタンの情勢が緊迫する中、昨年4月に復刊した。今年の2022年新春号には、「アフガニスタンはどこへゆく」の記事に、「バーミヤン遺跡はまだ復旧作業の途上にある。(中略)世界遺産バーミヤン遺跡にどう立ち向かうのか、タリバンの実存的な問いとなろう」と記している。

アフガニスタン文化研究所『NEWS LETTER』の2022年新春号

 前田先生が晩年に関わった文化活動に、東京藝術大学美術館で昨秋開かれた、バーミヤンからシルクロードを経て日本へと続く“弥勒の道”を辿る、国内初の展覧会「みろく―終わりの彼方 弥勒の世界―」がある。タリバンに破壊された、バーミヤンE窟仏龕及び天井壁画《青の弥勒》をスーパークローン文化財の技術で復元制作し、初公開した。(アートへの招待4 仏教文化を考える2つの企画展)この展覧会は尾道市の平山郁夫美術館の開館25周年記念「アフガニスタンの未来仏《青の弥勒》」展(~2022年11月27日)として受け継がれている。

平山郁夫美術館開館25周年記念「アフガニスタンの未来仏《青の弥勒》」展チラシ

 今年5月に刊行された『前田耕作・暮田愛 米寿記念 活動記録・著作目録』をあらためてページを繰る。暮田愛さんは伴侶であり同志である。共に昨年米寿を迎えられた。これまでの著作や論文、講演や旅の記録などがまとめられているが、いかに多くの仕事を遺されてきたか、驚くばかりだ。

『前田耕作・暮田愛 米寿記念 活動記録・著作目録』の表紙

 前田先生は巻頭に「過去・現在・そしてその後」と題して、次のような文章を寄せている。
 
  私たちが生きてきたつづら折りの人生の軌跡は、出会った仲間たち、交
  錯した人びと、共に汗を流し働いた友たち、オクサス学会に集った仲間
  たち、アフガニスタン文化研究所に集う者たち、と共どもに描いたもの
  で、ひたすら感謝するばかりである。
  私たちは歩むことを止めない。なお学びたいことが多くある。そしてい
  つまでも、どこまでも皆さんと共に。

 前田先生の死は無念である。しかしその遺志は、多くの人の心に刻まれている。アフガニスタンにもいつの日か確かな平和が訪れ、文化財保存が生きていく糧になることを信じたい。前田先生、やすらかにお眠りください。


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