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旅で磨こう「文化力」

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「大人の心は、いつも発見の旅を待っている」。そんな旅のヒントを、これまで体験した内外の旅を通じ伝えたい。
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#紀行文

旅で磨こう「文化力」 始めます

#旅行 #紀行 #文化力 #エッセイ  世界を席巻した新型コロナ禍で、増え続けていた海外への旅は、すっかり冷え込んでしまった。されど旅の魅力は色褪せることはない。旅は発見と感動を与え、好奇心を満たしてくれる。さらに旅によって、「文化力」を磨くことが出来る。私にとって、旅は生きていることの確認の場であった。智が満ち、歓びの原動力となる、そんな旅を、生ある限りこれからも続けたい。気障に言えば、「大人の心は、いつも発見の旅を待っている」。そんな旅のヒントを、これまで体験した内外の

いくつもの文化・文明が交差した国、トルコアジアとヨーロッパを結び、遺跡の宝庫

 いくつもの文化・文明が交差し重層化してきた遺跡の宝庫、トルコへの旅は宿願だった。ギリシャの詩人、ホメロスの叙事詩『イーリアス』の舞台となったトロイの遺跡や、凝灰岩の台地が侵食されてできたカッパドキアの奇観は一度目にしておきたいと思い続けていた。そしてシルクロード踏査の夢を実現するためにも、アジアとヨーロッパの二つの大陸を結ぶトルコは要所なのだ。2006年12月、16日間かけて六つの世界遺産を中心に巡ってきた。 ■伝説の地トロイは、9層の遺構が重なる  トルコへは関西空港

ヨーロッパ文化とも融合、モロッコ魅力たっぷり「迷宮都市」の旧市街は世界遺産

 モロッコへ行こうと思ったのは、スペインのイベリア半島を旅した時、地図を見ていて、海峡を隔て、わずかフェリーだと約1時間半の近さであることが分かった。もう一つ、私の尊敬する映画監督の新藤兼人監督のお勧めが「モロッコ」(1930年製作)だったことも頭の片隅にあった。さらにアフリカはエジプト以外未知の地だったこともあった。モロッコは、「ここは地の果て」と歌われたアルジェリアよりさらに西方だ。  この地域はアラビア語で「マグリブ」と言う。それは「日の没する地」「西の最果て」を意味

心にしみる静かな盆踊り「八尾風の盆」 越中の山里に、三味線と胡弓の哀調の音色が響く

 「八尾の町では、どこにいてもこの雪流しの音が耳に入って来る。坂の町であるばかりでなく、八尾は水音の町なのだ」といった書き出しで始まる高橋治さんの『風の盆恋歌』(1987年、新潮社)。この一冊の本が、富山の小さな町を全国に知らしめ、年にたった三日間の祭りに、25万人もの人出をもたらすことになったのだ。かく言う私も、2012年までに、風の盆通いは9度目を数えている。10度目を一つの区切りにしようと2020年に予定していたが、新型コロナ感染防止のため中止となり、昨年も開かれなかっ

ヒロシマとナガサキ、そしてカンチャナブリーの旅 戦争は日常のテーマ、悲劇を風化させてはならない

 今年もヒロシマとナガサキでの原爆祈念の日、そして終戦記念日がめぐってきた。「平和ニッポン」では8月に限って、戦争のことを問い直す年中行事になってしまった感すらする。しかし21世紀に入ってもアフガニスタンやシリアで内戦が続き、ロシアのウクライナ侵攻は現在も進行中だ。その上、長期戦となり、ロシアの核使用が取りざたされる事態だ。戦争は日常のテーマである。今回の旅は、世界で初めて原爆が投下され、一瞬にして20万人もの人命が失われたヒロシマ、その3日後に再び原爆が投下され7万人以上が

世界を敵にしたロシアの変容 求められる政治体制を超えた人間愛

 ロシアのウクライナ侵攻は長期戦となった。ウクライナのNATO加入問題に端を発しエスカレートしてしまった。いかなる理由があっても武力行使は許されない。しかし国連など外交での解決策は見出せず、ここに至ったことは嘆かわしい。いまや世界を敵に回した感のロシアに一度だけ旅したことがあった。1956年の日ソ共同宣言から日露国交回復50周年の記念にあたる2006年に、エルミタージュとプーシキン美術館を中心とした美術紀行だった。しかし何より1991年12月にソビエト連邦が崩壊した後の国情を

旧ユーゴスラビア連邦の3ヵ国の旅 「アドリア海の真珠」にも内戦の痕跡

 戦火の絶えなかったアフガニスタンからアメリカ軍が撤退したと思ったら、その半年後、ウクライナへロシア軍が侵攻し、戦乱が長期化の様相だ。かつてのソ連軍が1979年にアフガニスタンに軍事介入したものの、10年後に撤退した歴史の教訓が生かされていない。長い視点で見れば、戦争に真の勝者はない。兵力による国家間の戦争の犠牲者はいつも国民だ。国家や民族の争いと言えば、オリンピックが開かれた街が破壊し尽されたサラエボの悲劇を思い起こす。14年前の2008年7月に旧ユーゴスラビア連邦の3ヵ国

甦った2000年前の古代都市ポンペイ 現地を歩き、出土展を見て栄華を偲ぶ

 京都でよみがえる、古代ローマの至宝と謳う「ポンペイ展」が7月3日まで京都市京セラ美術館開催中だ。東京国立博物館を皮切りに、京都展の後、宮城県美術館(7月16日~9月25日)、九州国立博物館(10月12日~12月4日)へ巡回する。紀元後79年、イタリア、ナポリのヴェスヴィオ山噴火により、厚い火山灰の下に埋もれた都市ポンペイは、約1万人が暮らした都市の賑わいをそのまま封じ込めたタイムカプセルともいえる遺跡だ。そのポンペイを訪れたのは、18年前の2004年4月だった。遺跡の街を歩

独自の社会主義を歩む―キューバ 「核戦争の危機」から60年、変容する歴史の舞台

 ウクライナにロシア軍を全面侵攻させたウラジーミル・プーチン大統領は2022年2月、戦略的核抑止部隊を「特別警戒態勢」に移行させるよう側近の国防相らに命じ、核兵器が使われる危険性が危惧された。約60年前の1962年の「キューバ危機」以来だ。キューバが冷戦下のソ連へ急接近し、社会主義宣言を示して、アメリカと国交を断絶し、ソ連の核ミサイル施設を造り始めた。これに対抗して米合衆国大統領のジョン・F・ケネディが、海上封鎖を敢行し、ソ連第一書記のニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ

兵たちの夢の跡、建国800年のモンゴル     社会主義から資本主義へ大転換し近代化への道

 モンゴルと言えば、近年は大相撲で活躍する力士のことを思い浮かべる人が多いかもしれない。筆者にとってはチンギス・ハーン(チンギス・ハン、チンギス・カンとも)の勇躍を連想する。13世紀には、現在ロシアの侵攻で緊迫のウクライナも支配下に置いた。一大帝国を樹立して800年の節目にあたる2006年の7月、初めてモンゴルを訪ねた。社会主義から資本主義へ大転換した国は、かつての英雄の復権を官民一体となって進めていた。今や日本の国技・大相撲を凌駕するモンゴルは「遠くて近い国」だった。四季が

革命30周年のイランで迎えたお正月 壮大な王宮の痕跡とどめるぺルセポリス

 新年を異国の地で迎えたことがある。イランでは、太陽が春分点を通過する時刻を新年としている。訪れた2009年は3月20日午後3時13分だった。テヘラン行き国内便の出発を待つタブリーズ空港でカウントダウンが始まり、「ノウルーズ」と祝われる新しい年の幕開けと同時に、拍手に包まれた。この年、イスラム革命から30年を迎えていた。イランを取り巻く国際情勢は、核兵器開発などをめぐって10数経た現在も変わらず厳しい。激動の中東にあって、はるか7000年前から悠久のペルシャ文明の歴史を刻んで

神秘に満ちたインカの文明 マチュピチュ遺跡やナスカ地上絵の実見に感激

 古代の謎と神秘に満ちた南米ペルーの世界遺産を2010年1月に訪れた。砂の平原に描かれた壮大で不思議なデッサンのナスカの地上絵と、神秘のベールに包まれたインカの空中都市のマチュピチュ遺跡は、何度も写真や映像で見ていただけに、実際に自分の目で確かめたかった。これより先2007年8月に京都文化博物館で「ナスカ展」を、同じ年の10月に神戸市立博物館で「インカ・マヤ・アステカ展」を見ていて、一層好奇心をくすぐられていた。さらにペルー訪問後の2012年4月には、東京の国立科学博物館で「