ヨルダン国籍がもらえないガザ出身のパレスチナ難民
先月のある日、同僚の先生がお家に招待してくれた。
彼女は、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの中にある、私と同じ幼稚園で働いている幼稚園の先生。
普段はあまりプライベートな会話をしたことがなかった。
だからこそ、お家に招待してもらえたことはすごく嬉しかったし、普段ならできないようなさまざまな話をすることができた。
その中でも印象に残っているのが、「パレスチナ難民としてヨルダンで生きること」についての話だった。
彼女の年齢は20代半ばで、パレスチナ難民である。
といっても、祖父母の代で難民としてパレスチナからヨルダンにやってきたので、生まれも育ちもヨルダン。
ヨルダンに住むパレスチナ難民は、70年以上の時間の経過とともに、3世、4世と世代が移り変わっていっている。
彼女は、パレスチナ出身のヨルダン人として、ヨルダン国籍を持っている。
故郷であるパレスチナには、行ったことがないと話していた。
だから、パレスチナがどんなところであるかは写真でしか見たことがないし、立ち入ることができないこともあり、今後の人生もヨルダンで暮らしていくことになるだろうと話していた。
途中からアラブの結婚観の話になった。
アラブの結婚観について触れるとかなり長くなってしまうので、また別の記事で改めてまとめたいと思っているが、彼女はガザ出身のパレスチナ人とは結婚できないだろうと話していた。
その理由を尋ねてみると、「ガザ出身の人たちは、ヨルダン国籍を与えられていない」からだと言う。
そのことにより、社会福祉サービスが受けられなかったり、高額な医療費を支払わないといけなかったりするなど、日常生活においてさまざまな不利益を受けているとのことであった。
その理由を尋ねてみると、ヨルダン国籍を与えられたパレスチナ人たちは、1948年の「ナクバ」のタイミングでヨルダンに逃れてきた人であったらしい。
一方で、ガザ出身のパレスチナ人たちは、それ以降にヨルダンに逃れてきたため、そのタイミングの違いによって、ヨルダン国籍が与えられなかったと話していた。
アラビア語での会話だったので、十分には理解できなかった私は、家に帰ってからガザ出身のパレスチナ難民について調べてみることにした。
以下のように書かれているサイトを見つけた。
確かに、彼女が言っていたことと同じことが書かれていた。
ヨルダンで暮らす同じパレスチナ難民でも、出身の地区の違いによって、さらに困難な状況に置かれている人々の存在について知ることとなった。
この話を聞きながら、私の活動する難民キャンプのセンターで働く、ガザ出身の女性のことを思い出した。
日常的に顔を合わせる仲だけど、彼女からはこのような話を聞いたことはなかった。
ガザ出身の彼女にとって、ヨルダンでの暮らしはどのようなものなのか、今度聞いてみようと思った。
おまけ
その日、彼女の家でいただいたのはマンディーだった。
今まで食べたことのあるマンディーの中で、一番美味しかった!
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