インシャアッラーは魔法の言葉
一時帰国して1週間。
とにかく時間だけはたくさんある日々なので、いつか記事に書こうと思っていた事柄について書いていく。
ヨルダンで暮らしていると日常的に耳にする言葉、「インシャアッラー」というアラビア語について。
「インシャアッラー」は、アラビア語ではإن شاء الله と表記する。
アッラーは「神」という意味だが、インシャアッラーは「神が望むなら」「神のみぞ知る」という意味がある。
とにかくアラブ人は「インシャアッラー」をよく使う。
アラブ人と約束を取り付ける時、
「明日の夕方5時に、ここで待ち合わせね」と、具体的に予定が決まったのにも関わらず、最後の最後に彼らは必ず「インシャアッラー」と言ってくる。
それを言う彼らの心情には、
「その予定を果たすつもりでいるけど、絶対とは言い切れない。
天気が悪かったら来られないかもしれない。
家族の体調が悪くなったら来られないかもしれない。
でも、神が望むことであれば、その約束は果たせられるだろう。」
という気持ちが、その一言に全て含まれている。
ただ、私は「インシャアッラー」という言葉を最後に言われてしまうと、その約束の実現率が、8割から3割くらいに激減してしまうような感覚を覚える。
なので、最近は相手が言うよりも先に、自分から「インシャアッラー」と言うようにしていた。
すると、不意打ちを食らったのか、相手は「お、おう。インシャアッラーね。」と繰り返す。
その時の私の顔、多分ちょっとドヤ顔になっていると思う(笑)
そんな「インシャアッラー」の一言を、言われてしまうのか言われずに済むのか、と約束をする度に若干身構えて過ごしている中で、「インシャアッラー」は別の場面で有利に働くことに気が付いた。
私の街は観光地としても有名な街なので、街中を歩いていると観光客に間違われてタクシーの客引きなどで声を掛けられることも多い。
「〇〇まで安く連れて行けるよ。今からどう?」と言われ、「今日は忙しいからまた今度。」と言うと、「今度っていつ?明日?明後日?」と聞かれた。
そんなに直近で行くつもりがなかった私は、「う〜ん。インシャアッラー。」と言うと、それまでしつこく聞いてきたタクシーの運転手も、その「インシャアッラー」の一言を聞いた途端、何か妙に納得した様子で、「そう、分かった。」とアッサリ身を引いた。
驚いた。
彼だけではなかった。
その後、同期と一緒にペトラ遺跡へ観光に行った時も、しつこい客引きをしてくるヨルダン人に対して、「インシャアッラー」と言うと、その途端に彼らは身を引く。
それが分かった私は、しつこい客引きには全く動じることなく、巧みに「インシャアッラー」を使っている。
事実、「インシャアッラー」の考え方は私の性に合っている。
私は関西出身なので、関西人がよく言う(?)「行けたら行く」に近い感覚で使っている。
もちろん「行けたら行く」には神の存在は考慮されていないし、根本的な意味は違うけど。
アラビア語は、もともとイスラム教の神アッラーが、その教えを人々に伝えるために選んだ言語だと言われている。
そのため、アラビア語を話すアラブ人の価値観が、アラビア語の表現の中に垣間見えることが面白いと思う。