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とーます模話のこざこざシリーズ 10「ざせつといえる最初のざせつのこと①【悪魔との出会い】」

初めての就職。
大卒後に入ったルートセールスの会社だ。
小さい会社だったが…親会社は名の通った会社だった。

就活では名前の知れた、興味を持った会社をかたっぱしから受けた。
企業研究などといっても…まだ40年前は体制もいまのように行き届いてはいない。

先輩を頼って、就職セミナーもどきだとか、知りもしない癖に知ったかぶりをするなんだかよくわからない講習会のようなものに行ったこともある。

就活を紹介する企業の本などをみてみたが…ビル清掃や家庭教師のアルバイトくらいしかやったことがないのに…実際の社会人になるということは、
「いきづらいタイプ」の自分に実感が持てるはずもない。

ルートセールスがどんなにたいへんなことをするかもよくわからないまま、
「いずれ本社に行ける」という幻想をなぜか自信満々に信じていた。


失敗は目に見えていたはずだが…自分には自分がまったく見えていず…
ざせつは自分の経験として必要なものとして用意されているかのごとく…

実際のざせつが、その1年半後にやってきた。


短い盆休みを友人たちと過ごしたときだった。
ある飲み屋に数人ででかけたとき、
そこに居合わせた客のなかに…ある会社経営者がいたのだった。

カラオケだとか、店のホステスたちとのダンスだとか…
私は無理に酒も飲めないのにはしゃいだふりをして過ごした。

そのとき、ある会社経営者は私にこう言った。

「おまえはダサい。かっこわるい。
反対におまえのつれはいい」

はっきりとは覚えていないが、
そういうようなことを言われたように記憶する。
それも意外としつこく…会社経営者の考え方(「私がださくてかっこわるくて社会的に成功なんかできないということ」)の正しさを私になんとか認めさせようとするように言ってきたのだ。
少なくとも私には…当時の私にはそう響いたのだった。

私のつれは、歌がうまく、酒の席でのトークもうまく、
その日はサザンオールスターズの曲をうたい、
お店でも注目されるほどだった。

私は無理して受け狙いの何かを歌ったかもしれない。
覚えていないが…。

私はKに嫉妬することはあまりない。なぜなら、本当に、Kのことは好きだったからだ。

会社経営者がしきりにKと私を比較してきても、私がKと比較して嫉妬する気持ちは浮かんではこなかった。

会社経営者は私の出身大学を侮蔑的に読み替えてからかった。
彼の息子は有名大学出身だそうだ。

Kをはじめ…私のつれたちは、適当に受け流していたが…
いきづらい私にはなぜかどうしても許せない感情がわき、
なにかがはじけたようになってしまった。

村上春樹氏のノルウェーの森に出てくる女性が、
何かがはじけるように、急に精神を病むというような表現が出てきたと思うが…それに似ていたかもしれない。

それは単に会社経営者への憎しみではなく…自分の存在に対する、
信念をゆるがすような方向に意識が動くのを感じていた。
おおきなおおきな敵意と憎しみ、世界に対する憎悪であったように思う。

周りから見ても、私の狂気はおとなしく、
普通の人間のそれとかわりなく、
映っていたかもしれない。

その頃読んでいた村上龍氏の小説の
「ダチュラ」という言葉を、
なんとなく思い浮かべていたかもしれない。
もしかしたら、一連の出来事は、たかだか一篇の小説の影響だったのかもしれなかった。

それくらい、自分の存在は当時、危ない、あやふやな状態であったのだろうと記憶する。

その後、私はつれたちに断りもせず、
勝手に、寮のある街に帰った。

私は、寮に戻ると、必要と思われるものを持ち出し、
出て行った。

寮に戻ったのは、盆休みも終わって3日後くらいだったか。
精神科の診断書を持って、そのまま営業所に求職届を出したあとのことだった。


つれたちをすっぽかしたあと、彼らには連絡をしなかった。

当時、私は、彼らとの関係も終わったと考えていたふしがある。
というより、何もかも関係をたつつもりだったように思う。
といいながら、実家を頼っていったん帰省した。
しばらく実家で休んだのち、会社には退職を申し出た。

何もかも捨てるつもりが、結局、「家」から逃げることもできなかったのだ。


つれたちを残して寮に戻った後、
数日間をホテルで暮らした。

いくつかのビジネスホテルを泊まり歩いた。
細かい記憶もないが…絶望と逃亡という快楽と、
診断書を出せば求職できるという現金な計算のできる意識が共存したまま、
夢遊病者のように、パニック状態でぼんやり過ごしたと記憶する。

そのなかで、なぜか記憶があるのが、後楽園のビジネスホテルに泊まった夜に、駅前におでんを買いに行って、ビニール袋いっぱいにつめて部屋にかえったことだ。

意外に、ほかの記憶は薄れてしまった。

絶望でも、食べることはやめなかったのだ。
絶望の浅さを見て取ることもできよう。



会社経営者の言っていた言葉は、
その後、いつも虚空からきこえる聞こえない声と同じように、
いつも自分の意識から消えることはなかった。

「おまえはださい。かっこわるい。
ぜったいうまくいかない」

それとは別に、あらたに

「おまえは死ねばいい。
価値はない、
おまえ死ね」

そういう声が加わり、
その声を聴き続けることになった。


そのときから、自分は少なくとも、
演じていたいい人の役割をやめるようにはなった。
それでも、よくみせたい気持ちや善人でいなければならない意識も
顔を出すこともあったが…

その頃から自覚した「悪魔のこえ」を、
自分はきくようにかわったのだった。

その声は、自意識過剰の私をあおりながら、
力を授けてくれるようにも感じられたのだ。



妄想だったとしても…私はその後15年ほどの間、
それまで感じたこともなかった邪悪な意識を自覚できるようになり、
さらに、それまで理解できなかった世界の、特に音楽や芸術作品、
エログロやアングラの世界の意識を理解するようになったのだった。


ローリングストーンズ(スウェイやプロディガルサンがフェイバリット音楽に変わる)やジミヘン(アーユーエクスペリエンスドやラヴオアコンヒュージョンがフェイバリットに変わる)、ブルース(ミシシッピジョンハートやブッカホワイトなどが好きになる)が、サイケデリックな音が理解できるように変わったのだ。

それまで聴いてきたものと異なって響くように変わったのだった。
※例えばジョンレノン「レイン」「ディアプルーデンス」「オールトゥマッチ」ほか。ザ・フー「Tommy」「グロウガール」「ネイキドアイ」ほか。その他のサイケデリックな音を、意識的に理解するようになる。つまり、音や色彩でどこかにとべるように変わったのだった。


同時に、それまでいた善意のひとたちは少なくなり、
反対に悪意にみちた、
興味深い人間と知り合う機会が増えたのだった。

同時に、絵を描き、詩を書き、音楽を作り、それまでよりギターが弾けるようになり、バンドを組み自作曲を演奏し、文を書き、悪夢を見て、
低次の世界の色彩をリアルに体験することになった。


それは、15年後の、病気を得るまで続くことになった。