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老年期少年小説 13「還暦少年〈2〉 ひとのかなしみがわからない異端者のかなしみ①」

私は60を過ぎて…いまさらながら、
自分をかえたいとおもっているんですよ。

しかし、私の性格は、いろんな病院だとか、カウンセリングだとか、
人生相談だとか、スピリチュアルだとか、占いだとかに行っても、
結局変えられないまま…いまに至っているんです。

私はいまでもいろんな自己啓発につながるものを読んだり、
みたり、機会があれば相談に行ったりしています。

でも、結局いまのいままで自分を変えることはできず…
そんな性格の人間に付き合う人ってのは、
よっぽどのできた人か、
自分ににたどうしようもない人間くらいです。

といったって…どうしようもない自分に比べたら、
私には人間らしくて、自然でいいな、堂々として、
だめであることのまっただなかの自分自身であることに、
嫉妬するくらいなのです。


30代くらいから、
人付き合いを避けるようになりました。
それまでは、それなりに知人友人といえるような
付き合いがあったこともあります。

でもねえ、私は自分のことを愛せないし、
本当の自分がばれないようにしか、
人と付き合えなかったんです。

ばれたら、本性見られたら、
きっと嫌われる。
そんな自分を好きになってくれる人を、
好きにならなくなるんですよ。
そりゃあそうですよね。
自分が嫌いな自分という人間を
「好きだ」っていう人とは合わないでしょ?
自分が好きな人は、他人から好きだと言われたら
うれしいでしょうけど、私は困ってしまうだけでした。
それくらい自分という人間がどんなにいやなやつで
嫌われて当然かを知ってるんですよ。

じゃあ、自分がどんないやな性格なのかを紹介しましょう。

まず、他人の気持ちがわからないのです。
まるで、いい人のように振る舞いますけどね…
それは演技です。
人の痛みが、はっきり言ってよくわからない。
だから、自分が加害者で相手を傷つけても、
よくわからないのです。

じゃあ、自分が相手から傷つけられたらどうかって?

それは、やっぱり傷つくし、いやですよ。
でも、同じことを自分が相手にやっても、
心が動きにくいのです。

傷つけた瞬間に、私は自分を守ろうとします。
傍から見たら、
「殴った本人が、殴られた相手の痛さをわからないまま、
〈痛いか?〉と聞きながら、自分は悪いとは思っていないようなものです」

じゃあ、なんでそんなことになってしまうのか?
自分なりに考えてはみました。

まあ、妄想ですよね。
深層心理を探るワークのようなもので、
自動書記のように書き留めたことがあります。

問題が起きる

被害者意識が起きる

自分を防衛する(自分は悪くない)

自分が悪いと認めると仮定する

自分は責められる

自分は決して許されない

生きていけない

捨てられる、処刑される、宇宙から消える

見返してみても、
妄想ですよね。
自分でもわかるのです。

あと、自分が嫌われる理由でもありますが、
常に、上から目線であるということがあります。

自分は誰よりもすぐれている

自分は優れていないといけない

そうでないと滅びてしまう

これも、妄想です。
落ち着いたときには、
さすがに浮かんでくる恐怖心を含めて、
妄想だとわかります。


でも、深層心理をみていくと、
「自分がかわりたい」
「成長したい」
「穏やかに生きたい」
などと思っていると信じていたのですが、
どうやら、
「本当は変わりたくない」という自分が居座っているようなのです。

「自分がかわりたい」と思っていたら、
「変わっていけるもとの性格」を
否定されても、なんともないはずです。

いまはそういう部分があっても、
ずっとそういたくはない。
成長して、なくなっていくはずですから。

なのに、否定されて傷つくのは、
要するに変わりたくないから、
かわらない部分を指摘されると、
かわるつもりがないから、
言われて腹が立ったり、
落ち込んだりするのだと思います。

【②へ続く】