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映画『天国と地獄』のはなし


これは面白い!最後まで見終わるとこのシンプルなタイトルの持つ意味をよく考えさせられる。

前半の根幹となる他人の誘拐事件に巻き込まれる形がまず良い。我が子では無く他人の子のため身代金を払う払えないの葛藤が始まる。巨額の身代金を払うことができる金を今まさに持っている、しかし支払ったら家族が露頭に迷うことに、、、それぞれに思惑があり正義がありドラマが始まる。

そのドラマを映像でしっかり見せてくれ映画だ。カメラ位置は動きフレームの中に複数の人物が映り、前後で配置され手前奥で芝居が行われる。立ち位置も細かく定められ、人物が動きカメラが動いても被らず、論争が始まったり各々が苦悩する場面では目線は交わらずそれでもフレームの中に収まっていて関係性や思惑、決断、裏切りを予想させられる。人物の配置が天才的だと思う。『サイタマノラッパー』の終盤のカットが随所に散りばめられている感覚だ。クストリッツァの『アンダーグラウンド』のようなアクセル全開な展開も似ているなと感じる。ただ、山崎努を尾行し始めてからは失速したと感じた。前半室内のシーンしかないにもかかわらずこんな緊張感のあるサスペンスを描けるのは本当にすごい。

誘拐が発覚した後は、次々と問題や障害がいろいろな人が代わる代わる登場しながら自然な会話の流れで提示する。一難去ってまた一難では無く、一難去らずにまた一難。といった具合だ。どんどん増える課題と巧妙な犯人の手口により苦悩する主人公。三船敏郎はどの作品でも輝いている。

刑事役仲代達矢も素晴らしい芝居と感じた。『用心棒』でも感じたが三船敏郎に負けない輝きがある。『用心棒』では飄々としながらも底の見えない怖さ、狂気があり敵役として最高の役者と感じた。本作では、誠実な刑事役がハマっている。冷静に状況を判断し現場で的確な判断をする上司であり、三船の男気に刑事として応えたいという正義感もあり、彼の出ているシーンは見応えがある。

貧乏で育ち、手に職をつけ頭角を現し出世しついには高台に豪邸を建て暮らす主人公。犯人も貧乏で育ち、働きつつも劣悪な環境で暮らし、窓からは権藤の屋敷を見上げる。そんな生活をしている。権藤はコツコツ働き自ら環境をかえる努力をしたのか嫁さんの太い実家に頼ったのかは分からないが、成功を収めた。犯人竹内は自身の厳しい環境を恨み他人を憎み相手を引きづり降ろすことしかできない。他者貢献ができない。権藤は自身が破滅すると分かっていながらも犠牲になり他者へ手を差し伸べることができる。天国か地獄かは金銭や身の回りの持ち物、社会的な立場などでは無く、心の持ちようでまるで変わってくるのだろう。

ラスト面会をした二人。山崎努の狂気を装っている感じが出てるような芝居に冷めてはしまうものの、似ていた二人。しかし権藤の自己を犠牲にしてでも他者へ手を差し伸べた器の大きさはまるで違い、竹内は自己中心的で、彼を苦しめること一矢報いることははできなかった。

天国か地獄かを決められうのは自分だけ。主観でしか判断ができない。権藤が身代金を自身のために断っていたらもしかしたら逆の立場になっていたかもしれないなと感じた。

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