見出し画像

「自己紹介」転職を真剣に考え始めた話#3

振り返れば、自分の好きなことをただひたすらに追いかけた人生だった。そんな人生に今、自ら別れを告げようとしているのかもしれない。

■Football is my life

大学進学時、両親は自分がそこまでサッカーにこだわる人生を選択することを驚いたという。
たしかに、僕が通った高校はスポーツに熱心な高校ではなく、公式戦おろか、選手権の予選にすら出場することのない高校だった。しかし、そんな高校でサッカーを続けていたからこそ、本物を感じたかった。その好奇心だけで大学を探して、入学を決めた。

そんな自分を待っていたのは、圧倒的な現実だった。

サッカー強豪校から集まってくる同級生たちは最初から住んでいる世界が違った。僕が今まで大切に積み上げてきた努力なんてものは、彼らからしたら日常だった。積み上げられたその努力は圧倒的な壁として立ちはだかった。
「恥ずかしい。」
そんな感情を抱き続けた大学1年時。
それでも逃げなかった。そんな世界にいられることが嬉しかった。練習にいくのが辛かったし、チームに迷惑をかけることが悔しくてたまらなかったけど、そんな生活を送れること自体が刺激的だった。
毎日成長を実感し、充実した生活を送ることができた。

しかし、このまま自分に未来があるとは思えなかった。

1年時に、チームは関西の頂点に立った。
ピッチ上で輝かしい成績を収める先輩たちや同期をみて、彼らが「チームメイト」だと感じることができなかった。

そんな自分を変えるチャンスが訪れたのは2年時の春先。
20人弱の同期たちが一斉に集められ、この中から一人、リーグ運営のスタッフを派遣しなければいけないことがキャプテンから告げられた。それぞれ今の立場は違ど、1軍メンバー入りを本気で目指している選手たちだ。リーグ運営のスタッフになることなんて誰も望んでいない。

議論は平行線をたどる。

業を煮やしたキャプテンがある提案をした。
「全員顔を伏せて。この中で、正直1軍のメンバー入りなんてできないだろうと思う人、手を上げて。」
僕は正直に手をあげた。
この時上げた手が、今の自分を作り上げていると言っても過言ではない。

■be an "UNSUNG HERO"

そこからの人生は、ピッチで輝くサッカー選手たちを支えるいわゆる"裏方"に回る人生となった。

大学サッカーリーグの運営は、週1回の定期ミーティングに始まり、週末のリーグ戦の運営が主な仕事だ。当時3軍に当たるチームに所属していた僕は、自分の試合よりもトップチームのリーグ運営を優先しなくてはならなかった。
それでも、そんな生活を続けていたからこそ、チームメイトの活躍を心から喜べるようになったし、チームメイトからも必要とされる存在として認識されていった。
試合会場で1軍のメンバーと顔を合わせて、「いつもありがとう」と言ってもられることが嬉しかったし、それが生きがいとなった。

4年になれば、運営メンバーの中でも副幹事長という役職が与えられた。広報や競技運営の業務を主業務としつつ、後輩たちの育成や幹事長をはじめとする最終学年となった同級生たちを支える立場は、今振り返るととても濃密な時間だった。学生時代にこのような経験ができたことは社会人になるための良い準備期間となった。

その思いは、コーチの計らいでJリーグクラブにインターンへ行かせてもらった時に確信へと変わった。地方クラブでは、フロントスタッフの人材確保が高いハードルとなっている。学生時代にリーグ戦の運営に携わっていた僕を「即戦力」として扱ってくれた。
そして、たまたま欠員がでるというタイミングだったということもあり、僕が希望さえすれば新卒採用をしてくれるという話をしてくれた。
当時の僕にとって、人生の一部だったサッカーに携わって生きていけるチャンスはとても魅力的だった。

同じタイミングで、大学でサッカーをする代わりに「これだけは」と両親に念を押されていた教員免許取得のための教育実習にも参加した。
母校での3週間はとても楽しかったし、充実した3週間だった。
懐かしい仲間とお世話になった先生方と一緒に働けるという未来はとても魅力的だったが、「大学を卒業したばかりの自分に、高校生たちには何が教えられるだろう」という念が強く押し寄せた。
そういえば、自分が高校生だった頃に尊敬していた先生は皆、人生の引き出しが多い人だった。

Jクラブのフロントスタッフか教師か。僕の就職の選択は、この二択となった。

当時の自分にとって「働く」ということは「お金を稼ぐ」ということよりも「やりがい」や「好きなこと」を選ぶことを正義としていた。
目の前に並べられた二つのカードはどちらも人並み以上に稼げるようなカードではなかったし、就職活動に励む同期たちと話す時は、「お金を稼ぐこと」を優先する意見には一切耳を傾けなかった。

そして、この時「Jクラブのフロントスタッフになれるチャンスなんて簡単に巡ってくるものではないだろう」と選んだこの仕事も働き始めて6年が経つ。
新卒で入社したクラブには5年目の春に別れを告げた。大学時代の先輩が働いている現在所属するクラブからのお誘いを受け、転職を決断した。
新卒時から担当している「広報」という仕事は変わらずとも、2つ目のクラブを経験できたことは自分の視野を大きく広げてくれた。
特に、決して大きなクラブではない地方クラブを先に経験できたことは、会社全体のことを感じることができたし、より大きなクラブに転職できたことで、組織が大きくなった時のパワーや逆に弊害も肌で感じることができた。

■Find my new VALUE

なぜ、このタイミングで他業界への転職を希望しようと思ったのか。それには理由がいくつかある。
一つは、新卒時の僕とは仕事への価値観が変わったということ。
「働くこと」への生きがいは「やりがい」や「好きなこと」だけではなくなった。
お金や時間が人生を豊かにしてくれることを実感したし、サッカーだけが「やりがい」ではなくなった。
サッカーでしか働くこと、生きること、を見つけることができなかった僕は、6年間の社会人生活を経てたくさんの「仕事」を知った。その知った仕事の中には、僕が興味のあるものがたくさんある。

たった6年という短い年月だが、自分が「働く」ということに見つけた生きがいは、「自分のため」にある。より多くのことを学びたいし、より多くのことを経験したい。もっと興味のあるものを広げて行きたいし、自分も市場価値も知ってみたい。チャレンジしてみたい。

そのために、今度は0から転職先を探している。
自分の、新たな価値観を探しに。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?