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甘美なうわさ(つけびの村/高橋ユキ)

2013年7月、わずか12人が暮らす山口県の限界集落で放火事件が起き、5人もの人々が殺された。犯人として逮捕された村の住人・ワタルの家には、
「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」
という、犯行声明とも読める貼り紙がされていた。
そうこうしているうちに、ワタルが村八分に遭っていて、復讐のために事件を起こしたという噂が流れ始める。果たしてそれは事実なのか…?

この作品は、事件の真相を明らかにするため、フリーライターである著者が単身で取材したルポだ。noteの有料記事として公開されていたものに追加取材をして加筆し、まとめたものが本として出版されている。古くから続く村の祭りの写真や、著者とワタルの手紙のやり取りの写真も掲載されており、特にワタルの病的な筆跡は背筋がゾクッとするほど生々しい。

事件当時、コンビニやスーパーのない村では、住人がコープで買い物をするために定期的に集会所に集まっていた。そこでは当たり前に、さまざまな噂話が飛び交う。人口12人の村では、たった2、3人が同調するだけで「町の嫌われ者」が出現してしまう。

事件当時、ワタルは統合失調症を患っており、妄想性障害があった可能性が指摘されていた。「自分の悪い噂が流れているのではないか?」と疑心暗鬼になったワタルが被害妄想を悪化させ、犯行に及んだ可能性は否定できない。しかし事件は2019年、最高裁の「完全責任能力はあった」という判断により、死刑判決が下され幕を閉じた。

ワタルが本当に悪い噂を流されていたか、村八分に遭っていたかどうかについては、取材したところ確証は得られなかった。「つけび」の不気味な貼り紙も、取材してみれば犯行予告ではなく、過去に村で起きた小さな事件をワタルが揶揄したものに過ぎなかった。
それでも報道の第一報のインパクトは大きく、ネット上ではこの不気味な貼り紙や村八分の可能性について、未だに噂が噂を呼んでいる。

これまで起きた「複数人を殺傷した有名事件」において、その多くが責任能力の有無や程度で争われたが、それが認められたことはほとんどない。その一方、被害人数が少なく、さほど大きく報道されなかった、死刑または無期懲役求刑以外の事件においては、心神喪失や心身耗弱が認められ、無罪や減刑となるケースが散見される。
実際のところ、責任能力について何をもって判断するか明確には定められていない。事件発生当時の報道の過熱ぶりからうかがえる市民感情や、減刑した場合の社会的影響を意識した上で、あえて不透明にしているのではないかと著者は指摘する。


本の最後のあとがきで著者は、読者に対して疑問を投げかける。

うわさ話は我々にとって甘美な娯楽だ。
眉をひそめながら小声で話していても、その心は踊り、どこか興奮している。うわさ話を重ねながら、人は秘密を共有した気になり、結束を固め、ときに優越感に浸る。(略)
私たちはどうか。
村から遠く離れた地で、この事件のことをあれこれと語り、SNSで吹聴し、またそれを信じてきた私たちのことだ。(略)
メディアやSNSからこの事件のうわさを得る我々と、「コープの寄り合い」に集まり、うわさ話を仕入れていた村人たちに、はたして何の違いがあるだろうか。


人は生まれながらに真実を知りたいという欲求をもっていて、うわさ話をするとドーパミンのような脳内化学物質が放出されるという。また、ゴシップを提供することで、自分の存在価値を他者に知らしめることができる。それは、人と人との結びつきを強めることに繋がる。

では、「真実を知りたい」という欲求が根底にあるにも関わらず、メディアやSNSの根拠のない見解をあっさり信じて、それを吹聴してしまうのはなぜだろう。会社を休んで限界集落へ取材しに行くことはできないとしても、ネット上の情報を、信頼できる人がネットから仕入れた情報を、真実であると思い込まないようにしたい。

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