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「無」から「有」を生み出す罪(ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語/品田遊)

「人類を滅亡させるべきか否か」という問いについて、10人が議論する様子を描いた作品。それぞれ違った(そして極端な)価値観を持ち合わせた10人が、一瞬で人類を滅亡させる力をもつ魔王に命じられ、答えを出そうとする。
この設定だけ読むと荒唐無稽な感じがするものの、本気で相手を論破し合うハイレベルなディベートが延々続くので、めちゃくちゃ面白かった。これを一人で書き上げた作者、頭の中どうなってるんだ。すごい。

登場人物は以下10人。

ブルー:悲観主義者「生きていても嫌なことばかりだ」
イエロー:楽観主義者「生きていればいいこともある」
レッド:共同体主義者「すべての人間は共同体に属している」
パープル:懐疑主義者「まだ結論を出すには早い」
オレンジ:自由史上主義者「誰だって自分の人生を生きる自由がある」
グレー:??主義者「本当に存在するのは僕だけさ」
シルバー:相対主義者「どちらの言い分もある意味で正しい」
ゴールド:利己主義者「とにかく俺様がよければそれでいい」
ホワイト:教典原理主義者「教典には従うべき教えが記されています」
ブラック:反出生主義者「人間は生まれるべきではない」

はじめ、人類滅亡に賛成するのは、自分の人生が辛いブルーと、反出生主義者のブラックのみだが、ブラックがひろゆきばりにディベートが強いので、中盤では賛成派に寝返る人が現れる。
例えば世界を「ハエが浮かんだスープ」に例えるくだり。

ブラック:歯痛の不幸を打ち消す唯一の方法は歯痛の治療であって、他の幸福ではない。レストランでスープを飲んでいたらハエが浮いているのに気付いた。そのとき「スープが美味いからチャラだ」とは考えないだろう?「うまい具材を追加してバランスをとろう」なんて奴がいたら馬鹿だ。

シルバー:ハエが浮いている(不幸が存在する)という理由でスープごと捨てる(人類を滅ぼす)のは理にかなっている。でもスープ自体はうまい(幸福が存在する)から、という理由でハエ入りスープを飲み続ける(人類を存続させる)のは理にかなってない。ということ?

オレンジ:スープは一人1杯配られている状態だから、全員が捨てるべきというのはおかしい。

ブラック:それを認めるにしても、「世界に不幸がある」という事実は「世界に幸福がある」という事実より重い

※大意

終始こんな感じで議論を展開していくブラックを、レッドは虚無主義にすぎないと批判する。

こういう(虚無主義の)奴は、議論がとても強く見える。なぜなら、相手の意見の下に敷かれている前提をどこまでも覆し、元も子もなくしてしまうからだ。たとえば死刑制度の是非について議論しているとき、虚無主義はこんなことを言う。「死ぬことの何がいけないんですか」「人を殺すってそんなに悪いことですか」とかなんとか。
そういう問いに答えるのはとても難しいから、相手は思わず口ごもる。表面的にはさも「言い負かした」ように見えるかもしれない。だが、本当は違う。議論というものは、互いにある程度の前提に合意したうえではじめなければ、建設的な内容にはならない。虚無主義者は、ただ前提となっている価値観を根こそぎ否定しているだけで、議論なんかしていない。

ディべートでたまに現れる「そういう話じゃないんだよ」という奴、みんなこれか…。
私が言語化できなかった部分だったので、すごく腑に落ちた一節だった。

また、反出生主義について、賛成派のブルーは保護猫の例を挙げる。
野良猫を捕まえて不妊・去勢手術をして元に戻し、地域猫として世話をするシステムは、猫好きにも受け入れられている。なぜなら「野良猫は不幸だからいない方がいい」という価値観が共通しているから。

これに対し、人間は猫より知的に高度であるため、並列に語られるべきではないという反論が出るが、ブラックはここでも強く主張する。

俺は最終的には、人間も含めたすべての意識ある生物がいなくなるべきだと考えている。だが、もし二者択一ならより高等なほうの生物の絶滅を選ぶよ。知性が高度であるほど、そこに生じる不幸もより大きいと考えられるからだ。

現に「高度な知性をもっていること」を理由に、イルカやクジラの漁に反対する団体もいるという。(知らなかった…)

中盤から、議論は哲学に近い領域に入る。
特に「無」から「有」を生み出す罪という章は面白かった。

ブラック:学校に行きたくない子どもを無理に学校に行かせることで、いま苦痛を味わうだろうが、行かなければ将来的にもっと大きな苦痛を味わうかもしれない。なにがその子にとって幸福かは、究極的にはわからない。だからこそ人生は、暫定的に「いい」と思える方を選んでいくほかない

イエロー:でも出生については「生まない」が正解というのは納得がいかないわ。

ブラック:出生は人生の内部の出来事ではない。出産とは、子どもの人生のレールを分岐させる出来事ではなく、レールそのものを生じさせる出来事であり、その点で、破格に特別な行為なんだよ。この「無」から「有」を生じさせることも重大さを、子どもを学校に行かせるべきかとかいう程度の人生の内部で起こる葛藤と同列に扱うべきではない。

ここまでいくとブラックが正解か?人類滅亡という答えを出すのか?と思いそうになるが、後半で影の主役・グレーが現れる。
グレーは誰よりも哲学っぽい思想を展開するので少々分かりにくいのだが、結局、道徳は人生を豊かにするためのツールにすぎず、利己的に人生を楽しむことが「よい生き方」であるという、開き直りみたいな意見を述べる。

「子どもをつくるという娯楽が自分にとって楽しそうならそうする。自分がいま感じていることだけが世界で、全てはその中の登場人物に過ぎない」

そして最後、10人はひとつの意見にまとめるのではなく、それぞれが魔王に結論を述べ、魔王に選択をゆだねることに決める。結局、魔王はボタンひとつで人類を滅亡させるが、残された召使との会話のなかで、再び人類を創り出すと宣言する。
「なぜって?俺がそうしたかったからだ」と。

「なんだかんだと言ったところで、利己的であることが善と思うしかない」という、なんとも人間らしい終わり方だった。

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