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生きる理由を与える(死すべき定め/アトゥール・ガワンデ)

現役の外科医でありながら『ニューヨーカー』の医学・科学部門のライターを務める著者が、医師として多くの最期の決断に立ち会った経験をもとに、終末期の生き方を問いかける作品。
医学の進歩によって救われる命が増えた一方で、病いの苦しみと向き合わなければならない時間も増えた。それは幸福なのか?また、医師や家族は死にゆく人に何ができるだろうか?

重要な事実は、アシステッド・リビング(=老人ホーム)は高齢者本人のためではなく、その子どもたちのために建てられているということだ。高齢者がどこに住むかを決めるのは普通はその子どもたちであり、それは施設を売り出す営業の仕方をみればわかる。(略)
「ここはお母さんが住みたい、好き、必要だと思うような場所だろうか?」と考えることができるような子どもはほとんどいない。子どもはこんなふうに考える、「ここにお母さんを置いたままで私は平気だろうか?」

安全のためという大義名分を掲げ、流れ作業のように食事や着替えや入浴のサービスを一方的に与える老人ホームの在り方を、著者は入所者の言葉を引用しつつ批判する。着替えひとつとっても、本来は入所者に任せ、できないところだけを手伝う方が彼らの身体は弱らずに済む。なぜそうしないかというと、その方が時間も手間もかかるからだ。

一方で、高齢者の自主性を引き出すことに成功した施設の例も挙げている。トーマス率いるチェイス記念ナーシング・ホームでは、100羽のインコと犬4匹、ウサギの一家を買い、何百もの室内植物と野菜畑、花畑を整備し、インコは1〜2羽ずつ鳥かごに分けて高齢者の個室に入れた。

この目的は彼(=トーマス)が命名したナーシング・ホームに蔓延する三大伝染病を防ぐことであるー退屈と孤独、絶望である。三大伝染病を退治するためには何かの命を入れる必要がある。

個室にインコが入れられた時、はじめは「要らない」と言っていた入所者も、次第にインコが見えるよう枕の位置を変え、鳥の世話をしにきたスタッフに、鳥が何が好きで何をしているのかを説明するようになった。

2年かけて近くの他の施設と比較し効果を図った結果、一人当たりに使われた薬の数は半分で、向精神薬の減少は特に大きかった。薬剤費のトータルは他施設と比べて38%減少し、死亡は15%減少した。
退屈な場所で、生き物は自発性を呼び起こす。孤独な場所で伴侶となり、絶望の場所で他の存在を世話するチャンスを与えてくれる。
著者はその重要性を、ハーバード大学の哲学者、ジョサイア・ロイスの研究に言及しつつ説く。

人はなぜ単純に存在しているだけではーなぜ衣食住が与えられ、安心して生きているだけではー空虚で無意味に感じるのかをロイスは知ろうとした。生きるに値すると感じるためにはそんなもの以上に何が必要だろうか?

その答えは、己自身を越えた大義を人は求めていることにあると彼は信じた。(略)大義は大きなこと(家族や国、主義)でもいいし、小さなこと(建築計画やペットの世話)でもいい。重要なことは、大義に対して価値を見出していること、それに対して犠牲を払ってもよいと感じていることであり、それを通じて人は自分の命に意味を持たせるのである。
(『忠誠の哲学』/ジョサイア・ロイス)

この実験の重要な知見は、生きる理由が高齢者の死亡率を下げたことではない。高齢者に生きる理由を提供することは可能だと示したことなのである。

この作品の中でもう一つ、オランダの自殺幇助の話が印象的だった。
オランダでは自殺幇助の制度が何十年も存在していて、深刻な反対運動にあうこともなく利用者は増えている。しかし、2012年、35人のうち1人のオランダ人が自分が死ぬ前に自殺幇助を求めているという統計が出た。
これは自殺幇助制度の成功を示す数字ではなく、失敗を示す数字だと著者はいう。

医療者の究極の目標とは、あれこれ言っても結局のところ、よい死を迎えさせることではなく、今際の際までよい生を送らせることなのだ。できないはずはないのに、オランダは他の国よりも緩和医療のプログラムの発展が遅い。その理由の一つはおそらく、自殺幇助の制度があるゆえに、衰弱したり、深刻な病気にかかったりしたとき、他の方法で苦痛を軽減したり生活を改善させたりするのは非現実的だとする信念が強められているからだろう。

私は自殺幇助に賛成しているが、「最後の選択肢の一つとして残すべき」という考えのもとであった。それを前提として医療が発展しないという事態は本末転倒である。
信念が制度をつくり、制度が信念をつくる。人を救うための制度が、人を殺すことも現実にある。自殺幇助制度は諸刃の剣、ないしは劇薬に近い。

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