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「萌え」から「推し」へ(推しエコノミー/中山淳雄)

研究者でありコンサルタントである著者が、コロナ禍以降を含むエンタメの経済圏の変遷と未来を分析した本。コンテンツの変化、ユーザーの変化、そして米中の覇権競争と、対する日本の立ち位置。さまざまな視点から分析されていて、ライブのために生きている私にとってとても興味深い内容だった。

エンタメの未来はゲームがつくる

「鬼滅の刃」が配信サービスへの参入によってメガヒットしたように、今やアニメの人気に火をつけるきっかけはテレビではない。これはアニメ以外の領域でも同じで、コンテンツの力がどんどんメディアを乗り越えている。
次なるエンタメ業界を牽引するデジタルテクノロジーは、ゲームだ。
ゲームの中をコンサート会場にした「フォートナイト」のように、ゲーム内でイベントを開催し、アバターでファッションや装飾を売るなど、今後はゲーム空間が他のあらゆるエンタメを侵食していく可能性が高い。
逆にテレビは、「この時間しか流れない」という共時エンタメの絶対的優位性を活かし、ライブ性の高いコンテンツに特化していく必要がある。

タイムパフォーマンス至上主義

ネット普及によるコンテンツの供給過多により、人はより「時間」に対してセンシティブになってきている。

「推す」は、希少な時間資源の投下によって行われる。基本的には、未来永劫それが続く前提で、有限な時間資源を投じていきたい。(中略)安パイなコンテンツを求める人が増えると、新奇なものが展開されづらくなる。ある程度ブランドがあり、約束されたコンテンツに人々は群がるようになる。大ヒットがさらに大ヒットするという現象は、今後さらに強くなるだろう。

『ウマ娘』のBDは2週間で16万枚売れたが、これは購入者特典でウマ娘のゲームで使える課金アイテムが大盤振る舞いされることで「タムパがよかった」から。
加えて、「家の本棚にBDが並ぶ」という物理的な空間シェアは、中長期的に何度もユーザーにウマ娘を想起させ、アプリを再度開かせる誘因となる。(だからMDは大事)

「萌え」から「推し」へ

ユーザーは「消費」ではなく「体験」と「物語」にお金を使っている。そこではタムパが高いことに加え、SNS時代特有の「見え方」問題も重要になってくる。

会社の肩書や学歴での差別化はオシャレではない。ビジュアルでの差別化はイケメン・美人に許された特権である。金持ち自慢や恋愛リア充自慢は誹りを受ける。
だがキャラクターや2次元作品を使った自分の趣味嗜好の顕示は、自分自身の能力を問われず、誰もが親和的な気持ちをもって受け入れてくれる代替的かつ安全な自己表現になり得る。

「萌え」という内的体験に対して「推し」という外的体験は、アイデンティティの差別化を図るための手段であり、消費ではなく表現なのである。

エンタメの地政学

ミッキーマウスなどの米国アニメは、なぜ耳や目などにシンプルな円弧が多いか?それは「アルバイトを大量に集めても、そこそこ描きやすいから」だった。
原作作りでも、ハリウッドでは10人ほどのシナリオライターに同時に脚本を書かせて面白いものを抽出し、1本にまとめる組織的かつ効率的な手法を取る一方、スタジオジブリでは宮崎駿がひとりで全部やってしまう。
日本が目指すべきは、最大多数にリーチするドリームワークスやピクサーのような存在ではない。マーケティング部をもたず、手作りにこだわり続けることでクオリティを保つエルメスのように、作品自体のブランド性を最大化し、ファンの活動によって作品の経済圏全体を豊かにするような作品づくりである。

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