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消えない過去を消す(デジタル・タトゥー/河瀬季)

法律というものは絶対的であるようでいて、実のところそうではない。新しい技術が生まれた後にしか新しい法律は作られないし、社会が移り変われば共通の価値観が生まれ、法律自体が変えられてしまうこともある。

この本は元エンジニアの弁護士である著者が、ITに関わる依頼を解決していく短編集で、あくまでフィクションだ。
(ちなみに見出しでは省略したが、「インターネット誹謗中傷・風評被害事件ファイル」というサブタイトルがついている)

依頼人は、例えば殺人事件の犯人であると闇サイトに書き込まれた無実の政治家、掲示板で叩かれたヴィジュアル系バンドの追っかけ、5年前に起こした痴漢のニュース記事のせいで就職難になっている元教員など、程度の差はあれ「デジタル・タトゥー」によって不利益を被る人々。
物語は全て架空だが、書き込みを行った匿名の人物をどう暴いていくか、そして裁判までの間どう対処するかといった手法は実際の画面のスクリーンショットとともに具体的に書かれており、今後何かあった時のため(何もないことを心底願うが)知っておいて損はない内容だった。

「デジタル・タトゥー」と聞くと、猥褻な写真や動画、性的嗜好、宗教といった他人に知られたくないもの、プライバシーが守られて然るべきものが他人によって拡散されてしまうイメージを私はもっていたが、それだけではない。
「殺人犯かも知れない」といった嘘、グルメサイトの個人の書き込み、ニュースや新聞で報道された事実もまた、削除する権利が発生し得るのである。

「5年前に起こした痴漢のニュース記事のせいで就職難になっている元教員」の話は特に印象的だった。
そもそもニュースサイトの記事は、一定期間が経つと自動的に消えるように設定されている。これは個人情報保護のためではなく単純にサーバが重くなるからだと思うが、記事が削除されることで救われる人は山ほどいることだろう。
ところが、例えば誰かが巨大掲示板にその記事をコピペしてしまったら、元の記事が消えても掲示板の書き込みは消えない。罪を犯した人物が珍しい名前だった場合、名前を検索すれば掲示板が永遠にヒットしてしまうのである。
物語の中では、掲示板の運営社がペーパーカンパニーであったり、管理人の住民票が海外にあったりといった困難を乗り越えて削除に成功するのだが、一度報道されたものが削除対象となり得るということをとても意外に思った。

少し話は逸れるが、先日、実の父親に性的暴行を受けた19歳の娘の裁判が、最高裁でようやく有罪判決になった。父親を無罪とした第一審には開いた口が塞がらなかったが、この判決を思い出さずにはいられない箇所があったので最後に引用したい。

世間でたまに言われる「裁判所が世間の常識に反した判決を行った」というようなニュースも、仮処分や裁判のこうした性質による部分があると思われる。仮処分や裁判では、とにかく「証拠」が要求される。「証拠」のない、実証できなかった事実はないものと扱われてしまう可能性があるのだ。(略)
もっとも、これは一概に悪いこととは言えない。裁判や仮処分とは、良くも悪くも「証拠」に基づいて行われるものだからであり、裁判官は「証拠として提出されていない事実を勝手に推測し、偏見に基づいて判決を下す」ということができないよう、トレーニングを受けている。
(略)
つまり、仮に「裁判所が世間の常識に反した判決を行った」ということがあれば、真に責められるべきは、負けた側の弁護士である。その弁護士は「世間の常識」をきちんと証拠によって立証すべきであったのにそれができなかった、ということなのだ。

証拠がない=真実ではないというのが裁判所の常識であるならば、裁判所は真実を明らかにする場所ではないのだろう。
どうにも、分かるようで分からない。
法律だけは、人を救うために存在するものであってほしいと願う。

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