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人生タラレバ劇場(負け犬の遠吠え/酒井順子)

この作品が話題になったとき、私は中学生だった。
20代で結婚して子供を産む人生を想像していた当時の自分には関係ない、と興味をもつことさえなかったが、先日スペイン人の男友達(既婚)から、Junko Sakaiのエッセイを読んだと連絡がきた。

「a very old and antique way of looking at things. I think it made a lot of women very sad.」

あの作品が英訳され、スペイン人に先を越されていたことに驚くと同時に、今こそ読むにふさわしい年齢では!と思い、手に取った。

負け犬とは…狭義には、未婚、子ナシ、三十代以上の女性のことを示します。

賛否両論の極端な意見でフォロワーを煽り、わざと炎上することでインプレッションを稼ぐ下品なツイートのような一文から始まるこのエッセイ。

著者は決して読者を煽りたいわけではなく、「既婚子持ち女に勝とうなどと思わず、とりあえず『負けました〜』と、自らの弱さを認めた犬のようにお腹を見せておいた方が、生き易いのではないかろうか?」という処世術のニュアンスでこの言葉を使っている。
(どう英訳されてるのか知らんが、陽気なスペイン人にこの微妙なニュアンスを伝えるのは至難の業に違いない)

しかしこの定義に則れば、私も完全に負け犬である。
「面白そうな道ばかり選ぶのが負け犬、面白いことより将来的に得なことを考えられるのが勝ち犬」、「知的好奇心という耳障りのいい言葉で誤魔化す」などの言葉には耳が痛くなったし、当時35歳の著者が本作で繰り返し主張する「35歳の壁」は心底怖くなった。

「三十過ぎてこんなことしてるはずじゃなかったのにー、ヤバイっすよ」と言う顔にも、”でもまだ猶予はある”という笑みが浮かんでいるのです。

これが三十代前半。完全にいまの私だ。

第一刷が発行されて20年が経ち、当時よりもずっと独身が生き易い時代になったことは間違いないが、若い/若くないの世間的な感覚はきっと変わってないのだろうなと漠然と感じている。

しかし、絶望することはない。

孤独死が心配される負け犬だが、老後のリスクはむしろ勝ち犬の方が高い。自殺率の高い秋田で、重症のうつを抱える老人のほとんどは家族と同居していたという結果がある。独居老人は自分でも孤独対策を練っているし周囲の人も気遣ってくれるが、老人は孤独に慣れてない上に「家族に迷惑をかけているのでは」という気苦労も多く、周囲の人も「家族と一緒なら大丈夫」という目で見るため、孤独感を募らせやすいからだ。
負け犬は孤独に慣れているし、孤独に慣れているから負け犬になるとも言える。(これも今の私だ。)

そしてエッセイはこう締められる。

一人だからこそ感じることのできる雪の美しさもあり、その美しさは勝ち犬には理解のできない質のもの。…という私の主張を「負け犬の遠吠え」だと嗤わば嗤え。「子供を産まないと、わからないことってあるのよ」と言う人がいるように、「負け犬になってみないと、わからないこと」だって、世の中にはきっとある、のだから。

うん、そうだね。そう思って生きていたいよね。
と思いつつ巻末に綴られた十箇条という名の具体的なアドバイスを読むと、一人旅をするな、特定の人とばかりつるむな、ストッキングを履けなど「うっせぇわ」と言いたくなるものが多数含まれていて、確かにこの本は独身女性を勇気づけたのだろうか?とスペイン人同様の疑問が生じた。

日本人の年齢に対するこだわりは、世界的にも珍しいレベルらしい。
33歳でカナダに留学中の私の友人も、「年齢は全然聞かれない。誰も気にしてない」と言う。
若いから許されたこと、若いから得をしたことなど数えきれないほどあったはずなのに、そんな海外の文化は美しいと、いまの私は都合よく思う。

勝ちか負けか、35歳以上か以下か、そんな他者との対比で幸福を定義せず、自分の物差しで楽しく生きていくことだけを、強く願っている。

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