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家族という宗教(消滅世界/村田沙耶香)

100年後の未来、「家族」の概念が全く変わってしまった日本。
人は大人になると避妊器具を付け、結婚し、子供を作る時だけ一時的に器具を外して人工授精を経て出産をする。夫婦間の性行為は近親相姦とされるため、夫婦はそれぞれ外で人間やアニメキャラクターの恋人を作る。
そんな世界で、「古風」とされる夫婦間の性行為を経て生まれた主人公・雨音は、夫・朔と平穏な結婚生活を送っていたが、古風な世界こそが正しいと未だ信じる母を憎んでいた。

映画の中のような古いドレスに身を包んだ人が、恋愛をして、結婚して家族と交尾をしても、それほどの嫌悪感はない。昔はそれしか方法がなかったのだし、今とは時代が違うのだから、古い人類の資料を見ているような、冷静な気持ちになれる。けれど、それを現代になって未だに私の肉体に押し付けようとする母のことはおぞましくて吐き気がする。あなたが信じている「正しい」世界だって、この世界へのグラデーションの「途中」だったんだと叫びたくなる。
私たちはいつだって途中なのだ。どの世界に自分が洗脳されていようと、その洗脳で誰かを裁く権利などない。

一方で、実験都市として選ばれた千葉県では、全ての大人が全ての子供の「おかあさん」となり、可愛がって愛情を注ぐ家族不要のシステムを採って10年が経過していた。
そこでは毎年一回、12月24日、コンピューターによって選ばれた住民が一斉に人工授精を受ける。(男性も人工子宮をつけて参加する。)出産された子供はそのままセンターに預けられ、大人とみなされる15歳になるまで衣食住を保証される。家族システムで育った子供より均一で安定した愛情を受けることで精神的に安定し、頭脳・肉体ともに優秀、全ての子供が愛されて育つことから「楽園(エデン)システム」と名付けられていた。

雨音と朔は同じタイミングでそれぞれの恋人と別れ、外で恋愛や性行為の真似事をすることに疲弊していた。そこで、恋愛はおろか家族の概念さえ存在しない千葉へ移住し、密かに夫婦関係を続けながら二人で子供を作り、センターに預けずに育てようと決意する。

二人は移住後すぐに人工授精を受けることになるが、雨音は流産し、人工子宮をつけた朔は無事に出産をした。子どもは二人でこっそり育てようと約束していたにも関わらず、朔はその頃にはもう「洗脳」されていて…
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「正しさを疑え!」という村田節炸裂の作品。『殺人出産』と立て続けに読んだせいで頭が沸騰しそうになった。
『殺人出産』が殺人=悪ではない世界を舞台に規律や常識をテーマにしている一方で、本作は恋愛や家族という概念を扱っている違いはあるものの、「いま我々が正しいと思っていることは、所詮は現代でしか通用しない極めて不確かなものである」というメッセージは共通していると感じた。

また、本作はそれを「洗脳」という言葉で表現しているのが印象的だった。
物語の前半、雨音が朔と穏やかな生活を送りながら子供の計画について話す場面で、こんな一節があった。

恋愛という宗教に苦しめられている私たちは、今度は家族という宗教に救われようとしている。本当に身体ごと洗脳されたら、やっと「恋愛」を忘れられるような気がする。

実験都市・千葉で人工授精の末に生まれた子供たちは皆同じ白い服を着て、同じ髪型(なぜかおかっぱ)をし、同じ表情で同じ綺麗な言葉を喋る。それはまるでヒトを生産する工場のようであり、巨大な宗教施設のようでもある。

恋愛や家族という概念など宗教のようなものだ、と言いながら二人が駆け落ちした場所こそが、どこよりも宗教じみていて、洗脳されてしまうという結末。
それでも、自分が洗脳されていることに気づかない間は、二人は幸福だろうと思う。

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