船上の医者の雑記(どくとるマンボウ航海記/北杜夫)

1958年11月〜翌4月までの約半年、水産庁漁業調査船「照洋丸」の船医を勤めた医師による航海記。
と説明すると、お堅い話?お涙頂戴の医療モノ?と思われそうだが、ポップコーンでもつまみながら読むに相応しい、驚くほどくだらない雑記だった。
暇を持て余しては船上で酒を飲み、世界中の港に立ち寄っては冒険をしてみようとするものの、著者の根がチキン野郎なのでしょうもない事件しか起きない。
独特のワードセンスで面白く読めはしたものの、え、何だったのこれ…?と思いながら後書きにたどり着くと、こう書かれていた。

私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした。そのほうがわが潰瘍は機嫌がいいからである。

著者は帰国して十二指腸潰瘍になり、まともな生活ができなくなったため、癇癪を起こして執筆を始めたらしい。書かれていないことの中には、人の命に関わる局面や医師としての哲学が多くあったろうに。

この本は非常にくだらないが、くだらなさの中で真理を突いた表現が随所に光っていて、それが面白かった。

(本を)貸すくらいなら呉れてやったほうがまだしもマシだ。なんとなれば本というものは、呉れてやればその人のところにいつまでも存在していることが多いが、これが貸したとなると、面妖なことに大抵いつの間にか消滅してしまうものなのである。

コント師が単独ライブの最後に見せる、ちょっと感動的な小芝居のような。
終わった後で振り返ると、なぜかそればかりが思い出されてしまうようなあの感覚。
空気階段の水川かたまりさんがこの作品を好きだと言う理由が、とてもよく分かった。

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