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芸術は戦争を止められるか(暗幕のゲルニカ/原田マハ)

芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。
(パブロ・ピカソ)

1937年、内戦中のスペインで起きた、ドイツ軍による無差別爆撃。これを受けてパブロ・ピカソは『ゲルニカ』を描き上げた。
縦3.5m、横7.8mの巨大なキャンバスに、鮮血に染まったであろうシーンをあえてモノクロで表現することで、鑑賞者の恐怖をいっそう掻き立てている作品だ。

この小説は、1枚の絵に人生を変えられたふたりの女性の目線で描かれたアートサスペンスである。
1937年、ピカソの愛人であり芸術家でもあったドラと、
2001年、ニューヨーク在住でMoMAの職員を務める日本人女性の瑤子。
違う時代、違う場所で生きるふたりは、ともに『ゲルニカ』を深く愛し、翻弄され、そして救われる。

これは「史実に基づいたフィクション」であり、瑤子は実在しない。ドラやピカソの行動、心情も、どこまでが真実でどこからが創作なのかは分からない。しかしそんなことを忘れて没頭してしまうほど、この500頁近い大作は最後まで私を惹きつけて止まなかった。
本作を読むうえで注目してほしいポイントを、ふたつ紹介する。

1.手段としての芸術

パリ万博のスペイン館に『ゲルニカ』が展示されたとき、敵陣視察とばかりに訪れたドイツの駐在武官がピカソに尋ねた。
「この絵を描いたのは、貴様か?」
ピカソはこう答えた。
「いいや。この絵の作者は、あんたたちだ。」

ピカソは、『ゲルニカ』を描くことで反戦の意を表した。この惨事から目を逸らしてはならない。繰り返してはならないと。
絵の力はどんな武器よりも強いと信じた。
しかし2001年、瑤子が生きるニューヨークで起きた同時多発テロはイラク戦争へと繋がり、さらに瑤子は『ゲルニカ』を巡った争いに巻き込まれてしまう。

戦争を止める手段としての『ゲルニカ』を巡って新たな争いが起きる、これ以上の皮肉はない。力が強大であればあるほど、多くの人を引き寄せる。その結果、新たな争いが生まれてしまう。この連鎖を止めるにはどうすれば良いのだろうと、考えずにはいられなかった。

2.愛人として生き抜く覚悟

ピカソの愛人であったドラは、当時では珍しいシュールレアリストの写真家でもあった。
元妻や元愛人とその子供に嫉妬し、いつか終わりを迎えるであろうピカソとの関係を案じる人間的な側面をもつ一方で、愛人としての自分に誇りをもち、天才・ピカソの邪魔をしてはならないというある種のプロ意識を見せる。
彼女を有名にしたのは他でもない、『ゲルニカ』の制作過程を記録した写真だった。これを皮肉と捉える人もいるだろうが、案外、彼女はその事実をそれほど悲観してないのではないかと私は思う。ピカソの生涯において、芸術家として寄り添うことができた唯一の女性であったということ。
あの写真こそが、その証明だからだ。


2019年12月23日、私はマドリードのソフィア王妃芸術センターで、『ゲルニカ』の前にいた。
この作品のためだけに用意された贅沢な部屋の入口で、多くの人の頭越しにちらりとその姿を捉えた瞬間、背筋がぞくっとした。想像を超える大きさとモノクロの表現によって生まれる気迫に、呑み込まれそうになった。
ゆっくりと前に進み全貌を目にした瞬間、思わず足がすくんだ。兵士や女の表情が、牛のまなざしが、単調な線で描かれる閃光が、怖かったのだ。

芸術は戦争を止められるだろうか?
現状を見渡す限り、答えはNoかも知れない。
それでも芸術には、人を立ち止まらせ思考させる力がある。
思考は必ず、いつかの行動に繋がってゆく。


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