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プロではない幸福(無趣味のすすめ/村上龍)

幻冬社のビジネス雑誌『GOETHE』に連載されたエッセイを集めた作品。
「趣味がない人って何が楽しくて生きてるの?」と常々思っていた私にとって非常に興味の惹かれるトピックであったのだが、表題のエッセイはほんの2ページで、他60編は政治や経済などビジネスマン向けのテーマが並んでいた。

「金銭的利益以外の価値観を持つためには、金銭的利益がなければならない。(略)被災地へ支援活動に赴くニートは一見美しいが、実際は仕事を得て税金を払うほうがより社会に貢献できる。」(社会貢献と自立)

某ビールメーカーのトップを接待するのに、高級店ではなく庶民的な居酒屋を貸し切り、店の壁をそのビールメーカーの新商品のポスターで埋めたTVプロデューサーを例に挙げ、「もてなしや接待にマニュアルはない。誠意を相手に伝えるための、想像力が問われるのだ。」(もてなしと接待)

等々、『カンブリア宮殿』が好きな人なら読んで損はない一冊だ。

しかし、表題の「無趣味のすすめ」については、思うことがあった。

現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて完全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

この文章の根底には、「本当に好きで好きでたまらないならプロを目指すでしょう」という思想がある。それはおそらく、著者が、小説家という趣味と仕事の境界が極めて曖昧な職業に就き、成功しているからだろう。

私は、趣味には2種類あると思う。
一つは仕事の息抜きがしたいときに何気なく手に取るようなもの、あるいは日常生活に直結するもの。もう一つは、事前に予定を抑えたうえで、時間やコストをかけて行うものだ。具体例を挙げるなら、前者は動画の閲覧、料理、ジム、読書、サウナ。後者はライブ、旅行、サーフィン、ゴルフなどが該当する。
この二つの決定的な違いは「優先順位」だ。
仕事の合間に行うものが前者なら、後者はそのために仕事を頑張るモチベーションになり得る。また、アイドルの追っかけがアイドルを目指さないように、「好きだからプロを目指したい」という欲求は、全ての分野において出現するものではない。
高みを目指そうとは思わなくとも、それがなくては生きていけないほど、心が震える体験は確かにある。むしろ、プロではないからこそ没頭し、盲目的に愛せるのではないか。
そうした趣味をもつ者は、そうでない者より幸福だと思う。

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