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こどもの記憶(憤死/綿矢りさ)

・4人の少年と身寄りのないおじいさんのホラー『トイレの懺悔室』
・女版太ったスネ夫と、地味で控えめな女子の冷ややかな攻防『憤死』
・小学生の頃に遊んだ人生ゲームのマス目が現実になっていく『人生ゲーム』
の3編が入った中編集。
物語のテイストも主人公のタイプもバラバラだが、共通して「こども」がテーマとなっており、すべての主人公は短い物語の中で歳を取る。しかし「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、彼らの性格は根本的には変わらない。

『憤死』に出てくるスネ夫的な女子と控えめな主人公の対比を、ショートケーキのイチゴを最初に食べるか最後に取っておくか、という行動で描いているのが印象的だった。大人になり、スネ夫的女子は失恋が原因で自殺未遂をして入院するが、主人公がお見舞いの際に持参したショートケーキを受け取ると「わあ、うれしい」と言ってイチゴにフォークをぶっさし、満面の笑みで頬張る。そこで物語が終わるのである。

小学校に入り、中学、高校、大学へとコマを進めていくなかで、友人関係の変化やクラスのヒエラルキーを経験し、多くの人はキャラクターを変えてゆく。そうして環境にうまく適応する術を学んでいく。
しかしどんな変遷を辿れど、最終的には「小学生時代のキャラクター」に戻るという。なぜなら、小学生時代のキャラクターこそが、環境に合わせて作られたものではない真の自分の姿だからだ。
言われてみれば小学生の頃の自分は、ヒエラルキーやら異性の目やら受験戦争やらをさして意識することなく、取るに足らないことで小さな喧嘩ばかりしていた、ある種の平和な時代だったと思う。「こう見られたいからこう振舞う」の「こう見られたい」という感情を知らずにいられた、貴重な時間でもあった。

校内でただ一人違う中学校に入学したこともあり、私には小学校以前から続いている友人がいない。自分の記憶の中の自分のキャラクターと、仲良くしてくれていたクラスメートの思い描くそれにもおそらく乖離があるのだろう。それでも多分、誰も、大きくは変わっていないし、変われない。
もう会うことはない、いじめられっ子の顔を久しぶりに思い出した。

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