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<象を囲む盲目の人々>

一頭の象を 盲目の人々が囲んでいる

ある人は足に触れて言いました 「象は柱みたいだ」

ある人は尻尾に触れて言いました 「象は綱みたいだ」

ある人は鼻に触れて言いました「象は木の枝みたいだ」

ある人は耳に触れて言いました 「象は扇のようだ」

ある人は腹に触れて言いました 「象は壁みたいだ」

ある人は牙に触れて言いました 「象はパイプのようだ」と

どれも正しいが どれも食い違っている 

情報の量と質により 浮かび上がる真相は異なる

知れば知るほど より鮮明に浮かび上がり  真実は 真相に近づく

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解釈

これはインド発祥の寓話、<群盲象を評す>から派生したお話です。
物事や人物の一面だけを見聞きし、全てを理解したと錯覚してしまうことの例えとして、度々用いられます。また実社会においては、情報の取り扱いは非常に複雑で、時には情報に意図が介入する場合もあります。


ある人物にとって都合の良い状況を作り出すため、事実を歪曲する情報を流す場合や、意図して悪く情報を捉えて、人の目に触れないところで情報をやり取りし、他者を落としいれようとする場合。本文で言うところの象と人間や、象に触れている人間同士の間柄によっては、流される情報の質や目的も変わります。

真相に近づくためには、確かなことが分かるまで断定を避け、謙虚な姿勢で情報を集め続けること、また、真実と言われるものに対して、自分の目で見た事実がどれだけ含まれているのかが重要になります。真実は容易に歪められるからです。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、
『ソクラテスよりも賢いものはいない』という神託を否定するため、様々な賢者を訪ねて対話を試みました。

そこでソクラテスは、『知っている』と答える人の多くは、実は知らないことに気づきます。

そして、ソクラテス自身は、『知らない』ということを知っているのでした。


物事を断定することの危うさと難しさを、知ることは大切です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/群盲象を評す

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