伊藤郁女 Compagnie Himé 「あなたへ "Dears"」at clubhouse 20211215
※このnoteは2021年12月15日(水)22:00からのclubhouseでの発表用メモに加筆修正したものです。clubehouseリンクも貼っておきますので、ご興味を持たれましたらご参加頂ければ嬉しいです。
あなたは大切なひとを亡くしたことはありますか?この作品は、亡くしてしまった大切なひとへ向けて書れた手紙から創作されたものです。はたして、どのような人々の姿が現れたでしょうか。
■まずは抜粋動画
はじめに作品の動画を貼っておきます。ダンス作品ですから百聞は一見に如かずです。この動画、いいです。おすすめです。是非見ていただきたいです。
伊藤郁女さんホームページ、少し下にいくと抜粋の作品動画があります。
https://www.kaoriito.com/projet/chers/
■作品概要
会場は横浜赤れんが倉庫1号館3階ホール。150席程のこじんまりした会場です。フロアが舞台になっていて、雛段状に客席が組まれています。なので、観客は舞台を見上げるのではなく、世界を見下ろすかのように舞台を見る事になります。
舞台上には6人。タンクトップかTシャツやシャツに、短パンか柔らかいズボンというラフないでたち。日本人は伊藤郁女1人で、これも代役での出演です。1時間程の舞台です。
デルフィンというふくよかな女性が舞台を展開していく役周りですが、具体的なストーリーはありません。ダンス作品ですが、メロディーにのせて踊るというのではなく、ひたすら日常的な動きを動きます。
おそらくデルフィンだけが生きている人で、他はみな死者です。デルフィンは時折手紙の言葉を口にしますが、言葉とは関係ない動きを、ひたすら動きます。死者たちは硬直した身体から動いたり、また硬直した身体にもどったりします。
一貫してデルフィンは生きていく為に動いています。
手紙の言葉は死者に語りかける言葉で感情のこもったものなのです。けれどデルフィンはそれを口にしながらも、そういう様子ではありません。死者に語りかけるような時間の中にはおらず、必死に生きるための行為をしています。まるでそれを止めたらやられちゃうとか、そういう、生きていく事ができないというようです。
一方の死者について。
わたしが思い描く死者は生前の思いや、生きている人との関係を持ったものとして存在しているのですが、今回の舞台上の死者にはそういったものはもう残っていません。死者たちは、かつて生きていた時、今のデルフィンがそうであるように生きていくために繰り返していた動きを、ひたすら繰り返しています。死んでまで日常の動きを身体が覚えているかのようです。それだけ、生きるための行為それ自体が、生きる事だと言っているかのようです。
デルフィンも死者も次第に激しくに動き、そのうち生者と死者の境界が消え、みな必死な「生き物」になっていきます。激しい動きに余裕はなく、身体一つで厳しい外界に面して、生きていきます。
■外界にさらされる人、生きるエネルギー
この作品は、伊藤郁女が率いるCompagnie Himéの作品です。Compagnie Himéはフランス、スイスを拠点に、2014年から現在まで世界中で公演を行っているカンパニーです。この作品は2020年にマルセイユで初演され、今回が日本初演の公演でした。
伊藤郁女という日本人が率いているとは言え、ヨーロッパ色を強く感じました。外界にさらされる身体、というのもヨーロッパの人が生きて来た歴史が反映していると思います。この外界は自然界ではなく、人間の社会のように感じました。
外界にさらされ続け、その身体で生き抜いていくという感覚は、現代の日本人のわたしとは違います。社会のレールの上にいれば生きられるという社会の中で生きてきました。それは幻想かもしれないし、それが元気を奪っている原因かもしれないけれど、そういう社会感覚が嫌が応にも私の中には根付いています。
でも、この作品で出会う身体はそういう社会感覚とは違う中に生きている様に見えます。違うものに出会うのは大事な事です。
そして、彼らとわたしは違うかもしれない。けれど、必死に切羽詰まった動きを続ける身体を前にすると、言葉を失って、彼らに対して、うん。としか言えないような、そういう真摯なところで繫がる感じがするのです。
わたしはそれを求めて舞台や身体を観に行きます。
舞台上の彼らと繫がれる。身体というのはそういうコミュニケーションができる。それは社会のセーフティーネットになるものです。独りぼっちにになりません。
死を契機にした作品ですが、生きるエネルギーの塊のような作品でした。
■clubhouse後記(2021年12月25日追記)
clubhouseの本編発表後のコメントタイムでのトピックスでは、人の気配で動きを合わせる、という話がでました。
音楽をやる人から聞いたお話としてご紹介いただいたのですが、お芝居の幕開きの拍子木のチョーンチョンチョンチョンという拍、あれは西洋人は打てないんだそうです。オーケストラの人はあればどういう譜面?段々早くなるってどういうこと?となってしまうんだそうです。同様に”よーっポン”とやる一丁締めもできないという話が出ました。
今回の「あなたへ」でも阿吽の呼吸で動きを合わせるのが難しかったという伊藤さんのインタビューがありましたが、何拍目で動くとか、決めて動いたらむしろ決まらない、おかしなものになっちゃうものってあるのにね。合気道にも通じる話かもしれない、というコメントも頂戴しました!
このルームでは、そういう意識せずに身体がまとっているもの、にじみ出るもので人とつながるっていうことをテーマにしていきたいのですが、田中泯さんも同じような事を仰っていらっしゃると、これもルーム内で教えていただきました。
あとは、伊藤さんの作品はヨーロッパでは大人気という事ですが、今回の公演での人の入りはちょっと淋しいものがあったので、そのギャップって何なのかなぁ、という指摘もありました。これも興味深いですね。社会の中で舞台、作品がどういう位置づけなのかの違いがあるような気がします。
■動画、インタビューなど関連リンク
ヨコハマダンスコレクションの作品紹介ページ
ヨコハマダンスコレクションで掲載しているトレイラー
ヨコハマダンスコレクションに向けてのインタビュー記事
■clubhouse情報
2021年12月15日(水)22:00~22:30(予定)
前説5分+本編(このnote部分)5分+コメントタイム15分
身体からにじみ出るものでとるコミュニケーションが凄く大事、これからはより一層大事、と思っています。それは社会のセーフティーネットで、人間を強く元気にします。
そこで、ダンス作品を通して、身体や空間から透けて見えるその人、その人が属する社会を感じる、そんなお話をしています。
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