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笠井叡 迷宮ダンス公演 高丘親王航海記

澁澤龍彦の小説、高丘親王航海記から想を得た笠井叡ワールド。ただしそれは、笠井氏と澁澤龍彦との私的な関係を底にしている。
小説「高丘親王航海記」自体、夢とうつつ、更には時間軸までもが渾然とした世界に読者を招き入れるが、この舞台は笠井叡と澁澤龍彦の私的な世界の中に観客を招き入れる。

2019年1月27日(日)世田谷パブリックシアター、1時間50分の作品。大千穐楽の公演を観た。公演ホームページは下の画像からどうぞ。



迷宮ダンスとある通り、踊りの公演なのだが、小説に忠実に7章にそって進み、ナレーション的な言葉も重ねられる。動きも衣装も舞台上の船も、踊りの公演としては具象的な作りになっている。

けれど、原作と舞台は違うものを描いている。
原作が浮かび上がらせる世界を描こうとするならば、むしろ純粋に踊りの抽象的なアプローチの方が可能性があるように、私は思う。
けれど、澁澤龍彦と親交のあった笠井氏が取り組むとなると、そこには澁澤との対話という側面が現れたのだと思った。澁澤龍彦の残した美しい言葉と戯れ、僕は貴方の生んだ物語を投影して、こんな踊りの世界を作ったよ、と、嬉しそうに澁澤に差し出している笠井氏の姿があるように思う。だからこそ、現れた世界は笠井叡の世界だった。

舞踏家である笠井氏に黒田育代、近藤良平、酒井はな、BATIKにオイリュトミストなど、コンテンポラリーからバレエなどジャンルを横断する“今”のダンサー19名が舞台に乗ったが、1960年から80年代に向けてBUTOHが生まれ、三島や澁澤が作品を発表した高度経済成長期時代の日本に思いを馳せながら観た。急速な経済成長、それに伴う社会の変化があっただけでなく、それまで日本になかった新しい文化の芽がムクムクとあちこちに生まれた時代。大人が破天荒に、夢中になって新しいものを生み出していた時代。エネルギーがあった。笠井氏の身体にはその時代の記憶が染みついているのだろう。

もちろん、時間を経て身体にはその後の時代が幾重もの層になって積み重なっている。その身体が18名の様々なジャンルのダンサーを一つの舞台に集めた。それ自体が、この舞台を現実のものとできた要因の一つかもかもしれず、31年を経た澁澤への報告だったのかもしれない。

それを象徴するシーンが中間部、全員でヒエロニムス・ボッシュの世界を踊ったシーンだ。このシーンは純粋に踊りの場面で、澁澤の本にはない唯一の場面だ。天国も地獄も人も儒艮も獏も何もかもが何でもあり。混沌として、自由。このシーンが1番好きだった。この時笠井氏はサングラスにパイプをくわえて澁澤龍彦だった。全編を通して軽やかに踊ってらしたが、この時の踊りはファンキー。えらくよかった。

終演後にカーテンコールを何回か繰り返し、客電も入り、もうこれが最後というカーテンコールの終わり、お辞儀から頭を挙げたダンサー達が舞台袖にはけるタイミングを一瞬はずして固まった。サングラスをかけて上を見上げた笠井叡が通常のタイミングで動かなかったからだ。それは、ほんの一瞬。一拍の間を置いて、笠井氏はダンサーを率いて舞台袖にはけた。
あの一瞬は笠井氏と澁澤龍彦の二人の挨拶の時間だったのだと思う。

澁澤龍彦著 高丘親王航海記、読書録はこちら。

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