高齢者グループホームで「処方箋なしイベルメクチン投与」が発覚。その背景にある『コト』〉『ヒト』の心理を読み解く。
介護・福祉の根幹を揺るがしかねない、ゾッとする話を見たので、深く考えていきたいと思います😨
【記事の概要】
・鹿児島県議会の小園成美議員(自民・指宿市区)が指宿市で運営する高齢者福祉施設が、医師の処方箋なしで抗寄生虫薬「イベルメクチン」を利用者へ投与していたことがわかった。
・イベルメクチンは国内では医師の処方が必要な薬のため、「法令違反であったことは明らか」として、おわび文書を施設のホームページに同日掲載。
・小園議員によると「2023年10月ごろに利用者への投与があったのではないか」と外部から指摘があり確認した。
・文書では「処方箋なしでイベルメクチンを投与したことは事実だった」と謝罪した。
・また「イベルメクチンは自分と家族が飲むために医者の友人から譲ってもらい、個人事務所に保管していた」と説明。
・「職員も入居者も感染する大パニックだった。入居者の生命を守れるとわらにもすがる思いで実行した」とも。
・厚生労働省によると、イベルメクチンは腸管糞線虫症や疥癬(かいせん)に効能があるとして「処方箋医薬品」となっている。
・コロナ流行初期から効果の有無について国内外で研究されたが、国は23年8月、新型コロナの「診療の手引き」で「有効性が示されず、使用すべきでない」と位置付けている。
・医薬品の品質や安全性に関する医薬品医療機器法に詳しい松下朋弘弁護士(東京)は
「イベルメクチンは医師の処方が必要な薬。輸入、薬局など、どのルートから仕入れたとしても、他人に渡すことは法に抵触する」
と指摘する。
【薬を飲ませるのは美談か?】
「処方箋なしに、素人判断で薬を飲ませてはいけない」ということは、通常なら誰もが納得する話かと思います。
「薬」「薬害」の定義、その触りだけ見てみても、薬を扱う責任の重さは並々ならぬものがあることが感じられます。
それだけに今回の件にはゾッとしたわけですが、その理由は単に薬を飲ませただけに留まりません😰
「新型コロナウイルス感染という特殊な状況から素人判断で薬を飲ませた」ことをまるで美談のように語っていることが恐ろしいのです。
しかも記事によれば「2023年10月ごろに利用者への投与があったのではないか」とのことで、2023年10月には既に新型コロナウイルスは2類から5類へと変更となり、全国的にも感染が減少傾向となっていた時期でした😮
もちろん個々の状況はまた別で、施設単位で感染が広がる恐れは残っているかもしれませんが、
「当時は、新型コロナが流行して緊急事態宣言がだされ、職員も入居者も感染するといった状況で、私共の施設内も大パニックとなっておりました」
という状況ではなかったはずです。
どうにも時期がズレているため、同内容の記事を複数追っていくと「おととし9月から11月にかけて」との情報が出てきました。
そこで「2022年9月から11月」の時系列ニュースを見ていくと、規制緩和や感染者の全数把握簡略化が進むも11月上旬には感染拡大の気配(第8波)が見え始めていました。
加えて高齢者施設の感染者の多くが入院できず施設での療養を求められる事態でもありました。
こうした背景を思えば、今回の件は超法規的措置に思えなくもないのですが、別の側面を見ると考え方も変わってきます😰
同施設では、先月、職員19人のうち16人が退職し、元職員の一人は大量退職の理由を「違法投薬問題や小園県議のパワハラが理由」と話している、とのことです😱
施設を辞めた職員10人は
「小園県議のパワハラ発言などで精神的苦痛を受けたり、未払いの残業代がある」
などとして、施設と小園県議に損害賠償を求め、鹿児島地裁に提訴する方針を固めているようです。
このような人物像が浮かび上がると、
「法令を承知せずに入居者様の命を守りたい
一心で行ったもの」
「『これならば入居者の生命を守れるのでは』と、藁にもすがる思いで罹患した入居者に飲ませたらどうかと管理者に相談し、実行した」
といった言葉にも陰りが見えてくるのではないでしょうか。
真偽のほどは定かではありませんが、言葉を額面通りに受け取るのには違和感があるように思えます。
【利用者への説明はあったのか?】
そしてこの件は「薬を飲ませる美談」だけが問題ではなく、「利用者への説明責任を果たしていたか」にも注目すべきです。
もし本人の同意もなく状況判断だけで法に背いて薬を飲ませていたのだとしたら、それは人権侵害であり虐待であると言えます😭
万が一その薬によって重篤な症状を生み出していたとしたら、その罪は重いものとなったでしょう😨
そうした視点から、件のグループホームの入居条件を調べてみると、「認知症高齢者」であり「要介護度2〜5」の方が対象でした。
認知症の度合いによっては意思疎通が困難な場合も考えられ、その時は家族や成年後見人などに事情を説明して判断を仰ぐことになりますが、果たしてそうした説明はあったのか。
お詫び文を読む限りでは「管理者に相談」したそうですが、薬を飲まされる側にどのような説明があったかは明記されていません。
もし説明がなされていなかったのだとしたら、どれだけ恐ろしいことか。
「責任者の価値観」によって利用者の人権が軽視され、一方的な判断の下で同意もなしに服薬させられた、ということになるのですから😱
ここには「正しければ人権を軽んじても構わない」という昏い意思が潜んでいるように感じられてならないのです🥲
こうした
『コト(正しさ)』〉『ヒト(人権)』
が、「人の幸せや豊かさ」たる『福祉』実践の場で起きたとあれば、介護・福祉分野全体の信頼に関わる由々しき事態です😶
ここに触れずに今回の件が『済んだ話』になってしまった時、日本の介護・福祉は何のために存在しているのかが曖昧になっていくでしょう😔
僕は「人が人を好きでいられるうちは全ての介護問題は解決しうる」と考えていますが、それは裏返せば
「人が人をないがしろにするようになったら全ての介護は存在意義を失う」
ということでもあります。
だからこそ、介護をする全ての人が
「自然と科学の関係性」
「愛と愛情の違い」
について理解し、「私はどう生きるか」に基づいた介護哲学を見出してほしいと願うのです。
【まとめ】人のしあわせ、ゆたかさを介け護る
今回は処方箋なし投与の裏に潜む「『正しさ』〉『人権』の構図」についてお話ししました。
今回投与されたイベルメクチンが実際に効果があるかよりも、薬を一方的に飲ませたかもしれないことの方が重大です。
何故ならそれは「薬がなんとかしてくれる」という発想を生み出し、根本原因から目を遠ざける他責思考への偏りを招いてしまうからです😔
そしてその先に起きるのが「私は悪くない」「私が正しい」といった『正しさ』信仰であり、それが極まった状態が
「(感染症対策を取っているから)私は正しい」=「感染するのは誰かのせい」
という発想で行われ、自粛を始め手洗いうがい、アルコール消毒にマスク着用・ワクチン接種をもたらした『コロナ禍』だったことは、皆さん体験済みでしょう。
それらは実際には効果をもたらさないどころか、かえって被害を拡大させた可能性すら示唆されており、「正しさが必ずしも人を救うわけではない」という事実が日に日に浮き彫りにされています。
元より普通に生活する中で「保菌しない」こと自体に無理があるのに、無菌状態を求めて滅菌を強いること自体に歪みがあります。
それを「感染するのは誰かのせい」という発想のもと、体内外から「菌」を手放した結果が『今』であって。
感染・発症の責任を感染者一人ひとりではなく「施設」や「特定の個人」に持たせようとする空気感が、巡りめぐって今回の事件を引き起こしたものとみられます🥲
服薬をはじめとした医療に関しては医師・看護師の指示を仰ぐのが常です。
しかし、それは介護・福祉職がその領域について知らなくていいという話ではないと、僕は思うのです。
特に新型コロナウイルスに関しては当時「未知のウイルス」と喧伝されていたこともあり、2020年時点で「免疫とはなにか」「ウイルスとはなにか」の基礎を学び直して理解する姿勢は大切だったと思います😶
基礎を学び、喧伝される内容と目の前の出来事を照らし合わせれば「いま何が起きているか」に氣付くことになります。
そして一度氣付いたら、そこから先の行動を自分で選べるようになります。
この氣付きと行動の繰り返しが自身の変化を生み、「私はどう生きるか」を定めていきます。
そうして自分の信条が築き上げられて初めて、介護・福祉の本質である
・「人のしあわせ、ゆたかさ」をもたらし、生命を介け護る(たすけまもる)
ことの意義を、理性と感情の両面で心身に落とし込み、現実社会で実現させていくための行動が生まれるのです☺️
この他にも介護ブログや読書ブログを運営しています。
今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️
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