訪問看護会社の実態から見える「医療と介護・福祉」の関係性
今回はこの記事を見ていきます。
【記事の概要】
・訪問看護ステーションは医療法人以外でも運営でき、株式会社などによる開設が急増。
・近年では精神障害や知的障害のある人を対象にする例が増え、中には利益優先で公的な報酬を不正・過剰に受け取っている事業者もいる。
・ある看護師の証言では、複数の会社で虚偽の記録を作ったり「数字ありき」で必要のない実績を作ったりしているのだと言う。
・また、ある会社では運営する有料老人ホームの入居者を、協力関係にある医師が「うつ病」「統合失調症」などと診断。
・診療報酬で「30分以上訪問」の区分を効率的に取るため、症状に関係なく会社が「1人当たり35分」と決め、「週3回が目標」と指示を出していた。
[参入ハードルの低さ]
・訪問看護は「医療保険」適用と「介護保険」適用の場合に分けられる。
・65歳以上の高齢者は末期がんや難病などを除き、基本的に介護保険からお金が出る。
・医療的ケア児や現役世代は医療保険。精神科の訪問看護も医療保険が適用される。
・サービスを提供するのは主に訪問看護ステーションで、病院やクリニックもある。
・高齢化などに伴い、利用者は年々増えていて、厚生労働省によると2023年現在、約122万人。
・そのうち医療保険の適用は約48万人で、主な傷病が「精神および行動の障害」という人が約21万人と半分近くを占める。10年間で7倍に増えた。
・精神科の訪問看護ステーションは2022年までの5年間で倍増し、全国に約5300カ所。
・精神、知的障害者のケアには専門性が求められるが、事業者の中には「グループホームを巡回するだけ」「3年で年商8億円」などとうたい、広告でフランチャイズでの開業を促す例もある。
・もちろん訪問看護によって助けられる人々もおり、訪問看護全体が悪い訳ではない。
[不正に気付きにくい構造]
・通常、医療費には1~3割の自己負担がある。
・事業者が不正・過大に診療報酬を請求すれば、その分利用者負担も増えるので、不審な点に気付きやすい。
・しかし精神、知的障害者では低収入の人が多く、生活保護の場合は医療費の本人負担はなし。
・障害者には「自立支援医療」という軽減措置があり、低所得の場合は月の負担が「2500円まで」などと定められている。
・過剰な医療を受けても懐が痛まない上、障害ゆえに主張できない人もいる。
[質の評価や透明性確保が必要]
・訪問看護に詳しい国立看護大学校の萱間(かやま)真美学校長に話を聞くと、
「訪問看護ステーションは、身体疾患のある人や高齢者を主な対象にするところと、精神科に特化したタイプで二極化している。
精神、知的障害者の地域生活を支える上で精神科訪問看護は重要なサービスだが、一部の悪質な事業者では利用者を囲い込み、地域の関係機関と全く連携しないケースが見られる。
それでは、長期入院で社会から隔離する従来の精神医療と同様、当事者は孤立してしまう」
「看護師が訪問看護の必要度をきちんとアセスメント(評価)し、ケアプランを明確にすること。
質の評価や利用者による評価を導入し、透明性を確保するといった対応が必要だと思います」
と、現状とその対策について説明した。
・厚生労働省も対策に乗り出し、6月の診療報酬改定で訪問看護について報酬の取得条件を一部厳しくすることを決めた。
【医療と介護・福祉の関係性】
この記事は、今の日本における「医療」と「介護・福祉」の関係性を端的に表しています😢
まず両者とも
「ヒト(患者、高齢者・障害者)」
を見ずに
「コト(症状、疾病、介助、支援、環境、データ、科学的根拠)」
「モノ(お金、施設、設備)」
ばかりを見ているという点で、『コト〉ヒト』の社会の一例となっています。
これは「ヒトに『人らしさ』を求めていない」という有様であり、ここに加えて
「医療・看護 〉介護・福祉」
という関係性があることは、現場経験のある方であれば大なり小なり感じ取っているはずです😔
介護・福祉施設が「治療を終えた(あるいは見切られた)方々の行く先」でもあること、そしてその先でも医療・看護が提供され続けることからも『切っても切れない関係』なのは明白です。
もちろん医療・看護が高齢者・障害者へ適切に提供される分には問題ないのですが、今回の記事にあるような「虚偽・水増し」が起これば個人の尊厳が危ぶまれます😨
本来であれば「人のしあわせ・ゆたかさ」たる『福祉』の実践者、介護・福祉分野の人々が個人の尊厳を守るべく行動すべきなのですが、医療従事者と対等に渡り合えるような介護・福祉従事者は稀です。
稀となる理由は資金力の差であったり「経営者と従業員」の関係であったり、『職』としての努力質量の差であったりと複数に渡ります。
たとえば「医療法人系列の介護・福祉施設の介護・福祉職員が経営者たる院長に意見を言えるか」を想像すれば、
「誰が誰に物を言っているのか👨🏻⚕️」
にしかならないことは理解しやすいかと思います。
加えて「介護」とは元来「看護」の一業務であり、「介護士にできることは看護師にもできる」ことからも、その関係性が偏るのも必然と言えます😶
【誰がヒトを守るのだろう?】
こうした背景から今回の記事を見ていくと、何故「虚偽・水増し」が起きるのかもわかってきます👨🏻🏫
介護・福祉従事者は「物を言える立場」でもなければ「物を言うだけの努力の質量」を積み重ねておらず、医師・看護師の言う通りに動くことでしか自分の身を守る術がありません。
医療従事者は西洋医学的発想から「症状」や「疾病」、すなわち『患部』は診ても『患者』自身を十分に観ることは、意識できなければしません。
そして経営者は事業継続と利益追求のため『数字』を見て、施設利用者を顧みるよりも「如何にして売り上げを伸ばすか」ばかりに意識を向けます。
それぞれの立場で見る点が異なる上、肝心要の『ヒト』を誰も見ていないのですから、高齢者・障害者が「意識の外(=ないもの)」として扱われてしまいます🫥
意識に「ない」のだから良心の呵責も起きず、各々が自分の欲望のために「虚偽の記録を書く」ことも、「必要のない訪問看護を計画に入れる」ことも平然と行えるのです😭
こうした扱いへの反動として「暴言・暴力」「認知症状の悪化」「エスケープ」「自傷行為」などの問題行動が起きることは、一定期間介護・福祉現場にいれば経験則からわかるはずです。
ただ、こうした行動に対して
「私の言うことを聞いてください」
といった姿勢で向き合ってしまう人々が未だに多く、両者の思いが平行線を辿るまま「誰も『ヒト』を見ない」事態は延々と続くのです😰
この状況で、誰が高齢者・障害者(ヒト)の尊厳を守るのでしょうか?
いるのだとすれば、それは
・生活の収入源を介護・福祉に依存しない、広く社会について学ぶ介護・福祉職(複業介護士)
・西洋医学的発想と東洋医学的発想を持ち合わせて「社会を医す」医療従事者(上医)
・人生哲学に社会貢献があり、具体的に「守りたい人」が思い浮かぶ経営者
であり、僕はこうした人々が増えることを切に願いつつ、日々研鑽しながら情報発信に努めています😊
【まとめ】ヒト⇔コトの社会に向けて
今回は「訪問看護会社の実態」の記事と、その背景に何があるのかを見ていきました。
今回の話で、折々でお話ししている『コト〉ヒトの社会』が現実社会で今まさに起きていることなのだと伝わったかと思います。
そしてこの先にあるのが科学的根拠に基づいた「科学的介護」であり、「正しさの介護」が提供される未来だということも。
ともすれば今の時代の人々は
「人に迷惑をかけたくない😣」
「人に煩わされるのは嫌だ😤」
と、人を避けたがる傾向にあるかもしれませんし、その解決策としてAIなどのテクノロジーが今後更にもてはやされるようになるのでしょう。
しかし、最後の最後に人を助けるのは「コト」や「モノ」ではなく「ヒト」です。
前者がもたらす『最適解』は一見、あるいは一時的には素晴らしいものだと感じられるでしょうが、それらはどこまで行っても「ヒト」を見ることができずに「ヒトであるあなた」を孤独にさせます。
何故ならAIなどのテクノロジーを生み出す科学は「数字で表現できる『空間』」しか再現できず、人は『時間』と『空間』の中に生きる自然の産物だからです。
『時間』にたどり着けない科学では「ヒトの一部」しか再現しようがない訳ですね👨🏻🏫
もちろんこれは「自然が良くて科学が悪い」という話ではなく、「どちらの性質も理解した上で使いこなしましょう」という話です。
「コト〉ヒト」の社会ではなく「ヒト⇔コト」の共生社会を目指しましょう、ということですね☺️
その為には「幅広い学び」が欠かせず、これからの時代は一点特化のスペシャリストよりも、多点網羅のゼネラリストの方が重宝されると思います😳
そして介護・福祉職とは本来総合力が問われる職。
「介護職の専門性」が語られる昨今ですが、本当に必要なのは「介護職の総合性」なのだと、僕は思います。
この他にも介護ブログや読書ブログを運営しています。
今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️
オンラインショップ「みんなのしるし館」では占いやキャンドル販売を行っています。