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「介護の生産性が介護の価値を高める」のはホント?


今回はこの記事を見ていきます📝

【記事の概要】



・「介護現場の生産性向上」について、厚生労働省は11月30日、来年度の介護報酬改定に向けた協議を重ねている審議会にて特養や老健、ショートステイ、グループホーム、介護付きホームなどに新たな義務を課す案を提示した。

・「テクノロジーの導入」や「介護助手の活用」、「役割分担の見直し」などを機能させる方策を検討する委員会を設置し、定期的に開催していくことを求めてはどうか、とした。

・また、来年度から3年間の経過措置を設け、その終了後に義務化を適用する意向を示した。


・厚労省は審議会で、こうした委員会を設置している事業者は生産性向上の良い効果を実感しやすい、との調査結果も紹介している。

・既存の委員会との共催、複数の事業所による共催も認めていくと説明。

現場の負担が重くなり過ぎることのないように配慮しつつ、義務化の具体的なルール作りを進める構え。


・あわせて、新たな加算の創設による支援策も講じていく。

テクノロジーの導入を前提として、利用者の安全やサービスの質の確保、職員の負担軽減に向けた委員会を開催しており、実際に見守りシステムやICTを運用していることなどを要件とし、細部は今後詰める形となる。

【介護の生産性とは?】



介護テクノロジーにおいてはスマート介護士の活躍が見込まれる分野であり、今後介護の生産性向上において欠かせない資格となることが予想されます。



ただ一方で「介護の生産性」について、もう少し深く考えていく必要もあります🤔


介護サービス事業における生産性向上に資するガイドライン』における介護の生産性とは、


介護の価値を高めること


と定義しています。その為の取り組みとして


・人材育成
・チームケアの質の向上
・情報共有の効率化


この3つを生産性向上に取り組む意義とし、介護サービスの質の向上と人材定着・確保を目指すこととなります。

介護を担う人材が育ち、チームとして介護問題に取り組み、情報共有が効率よく行われることで問題解決をすみやかにしていく訳ですね👨🏻‍🏫


このこと自体は意識して執り行った方が良いと考えられますが、これらが適切に行われることと、「介護の価値が高まる」ことが本当にイコールなのかは疑問が残ります。

【介護の主体は誰か】



介護の生産性に限らず「介護」を考えるとき、その主体は誰になるのでしょうか?


国及び地方自治体なのか、サービス提供事業者なのか、介護職員なのか。

いずれにせよ「提供側」のことばかり意識して、介護を受ける「利用者」が念頭から外れてしまっています😧


この「介護の価値を高める」という言葉には、介護の価値を決めるのは提供側だという意思が込められています。

しかし実際に「その介護が良かったか」は介護を受けた利用者側が決めなければ辻褄が合いません😓



例えば料理を出された時に、その料理が美味しいかを決めるのは「食べた人」になります。

たとえ一流のシェフが高級素材を使って作った料理だとしても、「食べた人」にとって美味しくなければ「自分には美味しくない」と判断が下されるのです。


料理の本質とは「食べられること」ですから、料理を食べる人の『主観的価値』、すなわち「食べた人にとって美味しいかどうか」の方が本来重要なはずです。

しかし多くの方は「一流のシェフが高級素材を使った料理が美味しくないはずがないだろう」と『客観的価値』を持ち出し、美味しくないと感じた「食べた人」の価値観を「正しくない」と否定してしまうのです😨


ここにあるのは

「客観 〉主観」

であり、介護の価値もまた『客観的価値』(≒生産性)によって『主観的価値』(≒利用者の満足度)が否定されてしまう危険性があるのです。


だからこそ「介護の主体は誰なのか」を明らかにすべきであり、生産性に囚われて「こうあるべき介護」に染まって利用者を見失うことがないよう心掛けたいところです😶

【まとめ】そこに『ヒト』はいるか



今回は「介護の生産性」について見ていきました。


いま現場で行われている「介護」がどれだけ利用者のことを慮り、見られていますか?

日常生活に必要な、あるいは報酬単価の定められた「介助」ばかりに注目していないでしょうか?


こちらでもお話ししたように今の介護、あるいは社会全体が


コト(客観)〉ヒト(主観)』


というアンバランスな形となっており、多くの方が『正しさ』に従って自分で考え、判断することを手放したり諦めたりしています😔

そうした「正しさに従う価値観」が2020年からの約4年間続いた『コロナ禍』を生み出したことは、皆さんも体験された通りです。


そしてそれがどのような結果をもたらし、今なお医療・介護現場で何が求められているのかも。



介護の生産性は「介護の価値を高める」ために行われるものです。

確かに介護職員が成長し、チームとして万全に機能し、情報がいち早く共有されることで「生産性」は向上していくでしょう。


しかしそれらの生産性は「介護を受ける利用者の満足度・評価」と紐づいていなければ意味がありません


「介護の生産性」の下、数値目標や達成目標ばかりに目を奪われ、


今日一日、利用者が満足して暮らせているか


を見失えば、それは最早「介護の生産性」ではなく「介助の生産性」です。


介護とは「たすけ・まもる(介・護)」ことであり、介助とは「たすける(介ける、助ける)」こと。

つまり介護は『ヒト』を見て、介助は『コト』を見ているのですから、「利用者を見ない支え方」は介助にしかならないのです😳



「介護サービスの質向上」を真に評価する利用者の存在が介護職員の頭から消えてしまったとき、いよいよ『生命の価値』が失われる社会となるでしょう。

そして、社会がそうならないようにする「最後の砦」が『介護』なのではないかと、僕はそう考えて情報発信を続けています☺️



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今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️  


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