利用者(ヒト)を見るか、介助(コト)を見るか
介護の人員配置基準の議論が始まっています😳
【記事の概要】
この記事では
・事業としては、現場の人材不足から管理者の兼任も容認していくことも課題として提起。
・全国老人福祉施設協議会も人材不足が最大の課題とし、運営基準・人員配置基準の柔軟な取り扱いが重要と考えて兼務要件と検討すべきと要請。
・全国健康保険協会はサービスの質の維持を前提として、夜間の人員配置基準の緩和の検討を提案。見守りシステムやICT、介護ロボットなどをうまく活用すべきではないかと促す。
・一方、認知症の人と家族の会は「人材が不足しているから基準を緩める」という考え方にとても不安を感じ、安易な人員配置基準緩和を懸念。
と、それぞれな立場から意見を交わされており、年内には具体策の大枠を固める予定だと記されています。
【疑問】「介護テクノロジー」と言えば解決した気になってはいないか
介護の人材不足は変わらず深刻で、事業所や各団体の主張通り
「配置基準を緩和しなければ事業としてやっていけない」
という切羽詰まった事態だと言えます😨
かと言って「人が足りないから緩和します」では不安が残るのも当然で、
①『サービスの質の維持』とは何をもってサービスの質を定義しているのか
②サービスの質の維持のための具体策について
③「見守りシステムやICT、介護ロボットなどの活用」と言えば解決したような感覚に陥っていないか
といった点が解消されていくことが望まれますね👨🏻🏫
【所感】介助(コト)ばかりを満たす介護は孤独を招く
最近の介護ニュースでは判を押すように
「介護テクノロジー、介護ICT、介護ロボット」
などのデジタル技術が語られ、それしか解決する手段がないかのようなイメージを与えています。
実際にそれらは有効な手段ではありますが、それらだけであらゆる問題が解決するような『魔法の杖』ではありません。
にも関わらず、専門家がこぞってデジタル技術を推す流れには危うさを感じさせます。
そもそも介護の問題は
「必要とされる介助(コト)」
ではなく、
「生活上の困難さを抱える利用者(ヒト)」
の問題です。
であれば、利用者(ヒト)基準で介護の問題を考えてこそ『サービスの質』と言えます。
しかし議論は「必要とされる介助(コト)をどのように効率よく行うか」が主流となっていた訳ですから、家族会が懸念を示すのも当然でしょう😔
もちろん、介護保険制度自体が「介助(コト)」に焦点を当てた仕組みですから、専門家がそちらを重視するのは至極当然の話です。
発想として
「システムが機能すれば利用者へ提供されるサービスは十分である(質は維持される)」
という前提が垣間見られますが、サービス対象が『人』である以上、システムが満たされるという機能は(機能評価を人が行う以上)必然的に「最低条件」に押し下げられる末路を辿ります。
機能ばかりを提供しても、ある程度すればそれを「当たり前」として捉えるようになるため、イタチごっこにしかならない訳ですね。
人の満足度は『人』によってでしか、もたらすことはできません。
機能ばかりを満たした介護の先にあるのは、人がこれまで体験して来なかった(しかし潜在的に抱えてきた)『種族としての孤独』が待ち受ける未来になる…と予想・予言します。
「機能が充足する社会」とは「人が人を必要としない社会」でもあることは、今回取り上げた記事で『人員配置基準の緩和』が議題となるほど、確かな証明をしてくれているのですから。
この他にも介護ブログや読書ブログを運営しています。
今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️
またnoteのメンバーシップではダイエットコーチングを行なっております。併せてご覧下さい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?