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100年時代の『職業選択コスト』

 とっても残念なワードですが、「職業選択のコスト」というものを、令和においては、考えなくてはいけないと思います。

 つまりそれは、

 職業のために差し出す人生得られるもの

 というバランス・自覚です。



職業選択コスト?


 説明する必要もないのかもしれませんが、皆様が薄々感付いている通りです…。

その職業を選択することによって、失われる可能性、差し出す対価や、友情リスク、実現不可能なライフスタイル

職業コストとは


 この考えに至った背景にあるのは、今の時代、

 「どんな職業を選ぶか?によって、ライフスタイル・私生活や関わる人の精神性がある程度決まってしまう

 ということです。

 例えば、僕の友達に、「学校の先生」はいませんし、「漁師」もいない、「SE」もいません。

 僕が(友達が限られているからかもしれませんが…)、“ そういった職業と遠いから ” でしょう。

 「平日週5出勤の働き方」(会社)で、「平日昼からシャンパンを開ける」(やりたければ、の話ですが)ということはできないはずです。

 「金曜夜と土日は、絶対に友達と遊びたい!」という人に、マジシャンという職業も向かないわけです。

⒈ 時間コスト

人生カレンダーの書き方


 平成までの、人生というカレンダーの埋め方は、次のようなものだったと思います。

人生 − 仕事 = 私生活

人生カレンダー


 「空白のカレンダー」がまずあって、そこに “ 最初に仕事の時間を埋める。

 それでもなお「余った部分」(平日夜や土日、お盆や年末年始)が、私生活・プライベートになる。

 これは、ある程度豊かで、穏やかで、(高度経済成長・バブル期のような?)成長していた時代には、「いい人生」になったと思うのですが、僕らの世代以下で、こんなスケジューリングに希望を見出す若者がいるでしょうか?

 令和の人生のカレンダーの作り方は、次のようになると思います。

人生 = 使命 × 天職(職業)× ライフスタイル

令和の人生カレンダー


 「真っさらなカレンダー」を前に —

 ◇ 自分の人生の目的(使命)とはなんだろう?
 ◇ 自分がすべき仕事・働き方とはなんだろう?
 ◇ どんな暮らしがいいだろう?

 と問い、それぞれの『答え』を並べる。

 それら全ての “ 教科 ” が満たされるように、時間に配置していく

 または、人生の展開・流れから、ふさわしい時にそのアイディアを実行していく。

 だって、「不確実性の高い時代」って言われていますよね?

 従来の、「固定給からの引き算で生活(+幸せ)を賄う」ってことが、かんたんに、楽しくできない人が増えています。

 そんな時代に、従来型のカレンダーの埋め方で私生活を描いても、夢を見られないって思うのです。そんな生活のためだけの仕事にだって、本気になれない

 それは、社会の停滞以上に、貧しい心ではないでしょうか — ?

⒉ ライフスタイル・コスト

職業決定が人生を引き算する


 先述の通り、職業を固定する(決める)ことは、同時に制約も決めることになります。

 (どんな会社に所属するかにもよりますが)
 住む場所、仕事中いる場所、関わる人、暮らす動線 … がほぼ自動的に設定される。

 プライベートの時間も過ごし方も、制限が課されます。

 つまり交友関係も実は制限的なんですね。

 これが僕の言いたい、『職業コスト』です。

 これまでの時代は、安定しているとか、有名企業、なんてことが、十分な価値として、職業選択の基準として効いた。

 でも、不確実な時代 — 相反するように豊かで自由な、令和という時代 — には、従来のその判断基準での選択こそが、人生の大きなコストになります

 「人生で経験できる可能性」に対して、「差し出すものが多すぎるんです。

 「たっくさんのお金を得られるストレスの多い仕事」よりも、「ある程度のお金になる、ストレスのない仕事・可能性を潰さない選択」の方が、令和では価値があると思います。

⒊ 信用コスト

人間関係のリスク


 また、その職業に従事することで、信用を失う可能性 … もあると僕は感じています。
 これは交友関係にダイレクトに影響します。

※ これは仕事中には気付けないはずなのです。だって周囲にいる人たちはみんな同じ職業なわけですから。。
 なんらかの集まりで、あいつはめんどくさい(場の空気を乱しちゃう)から呼ばないでおこうぜ!ということがあってもしかたない。

交友関係のリスク


 あなたがどんなに立派に仕事をして、フェアプレーをしていたとしても、そのトップや偉い人が、仕事のルール違反をしてしまうことだって、今の時代あり得るでしょう。

 それでもあなたは、「トップと俺は一切関係ない!」と自由でいられるでしょうか?

⒋ 平成までのブランディングと、令和以降のブランディング


 平成まで、キャリアのブランディング(アイデンティティー、ポジショニング)というのは、

1カテゴリー・1マーケット(ターゲット)

 であったと思います。

 でもこれは、令和の100年時代や変化の速さ、不確実性(予測の難しさ)、ニーズが飽和した(ニッチ市場を狙ってもうまみがない)社会とは、とても相性が悪い

 そこで、令和で必要になるのは…

one スピリット

 というブランディング(アイデンティティー、ポジショニング)ではないか?

 と僕は感じています。

 大学在学中よりプロマジシャンとして活動を始め、就活も途中でやめ、生きてきた体験から、肌で感じていることです。


 1カテゴリーであれば、できること・スキル、サービスの領域は「1つ」ですが、スピリットとは、『魂・精神性』ですから、活動や発信に、ある程度の自由度(風の流れ)があることになります。

 「複数のこと」をしていても、『魂レベル』(ビジョン)でそれらを結ぶ統合することによって、活動の一貫性を保ちます。

 そして、社会や時代、ニーズの変化に応じて、内容(キャリア・ブランディング、サービス)をシフトしていく

 1カテゴリーだけの勝利では、こういった切り替えへの — そこから下山するということが — コスト・足かせになり、機動力は落ちていきます

 これは、会社勤め転職においても、同様の発想の応用ができるのではないかと僕は思います。

本命は伝わる 〜どう死ぬか〜


 体感的なものですが、本当に、特定の領域を極めている人たちというのは、異世界の人でも、SNS上でも、それがわかります。

 (これは、それを実行しないと気付けないと思います。
  マジシャンのスキルにたとえると、レベルの高い人は、下位の世界が見えますが、下位からより高いレベルは見抜けない構造に同じです。)

 「この人すげぇ、本物(本気)だ…」という感覚。

 カネのためにやってんのか、もっと高い次元で感性や知性を発揮してんのか。

 それは等しく共鳴する。

 こんな時代には、「Aさん」「Bさん」といった具体的なヒト・属性を設定して、関わるようにするよりも、「どんな精神性の人と関わりたいか?」ということを定めて、繋がるようにすると、いいのではないかなと思います。
 そしてそれに呼応する『ふさわしい自分』であろうと努める。

誰と関わるかについて


 あなたが選ぶ職業(会社)が、あなたの人生の水準や、時間の構成・クオリティーを決めます

 仕事のみならず、関わる人を決めます。

どうやって死ぬか = この人生でどんな魂の仕事をするか?

(まだそのレベルまで見えなければ、どんな暮らし方・人生は嫌か?)


 という望みから逆算して、職業(働き方)を選択する

 二十歳前後で、「これはいい仕事だ!一生やっていく!」と決めたとしても、30代、40代では時代も風潮も、モチベーションも流れも変わります。

 従来の「1職業・一生安泰幻想」ではない、新しい考え方が、今後の社会で当たり前の感覚になっていくと思います。

 Matty


「もうひとつの人生」の可能性 ~ 機会コストを考えよう ~

「お金」を知ること・生み出せること
〜 令和という時代を、安心して生きていくために… 〜
① お金の性質・言語を知ること
② お金を自分の才能・知識で生み出せること


12.25 追記 


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