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最上のわざ

私の父は49歳の誕生日辺りから
「腰が痛い」と言い出し、
その一年後に亡くなったのだが、
最後の二か月は人工心肺装置を付けた状態で
意識も一度も戻ることはなかった。

そんな父をなすすべもなく、
酸素を送り続ける装置の
無機質な音の響く病室で
私たちはただ、見ているしかなかった。

「これで生きてるっていえるのかな」
そう思わずにいられなかった。

母方の祖父は若い頃から難病を抱え、
それは年とともにじわじわと進行し、
動かなくなった指で
器用に本のページをめくり、
かろうじて、
大好きな読書だけは続けられたが
自分の力では立つこともできず
20年近く、ただ、そこに
座り続けるだけの人生を送った。

私は祖父が大好きだったのに
少しずつ弱っていく祖父を見るのが辛くて
段々、足が遠のいて行った。

生きるとは何だろう、
老いるとは何だろう

5年、10年、15年、

二人が亡くなったあとも
彼らの姿が湖底の澱のように
私の胸の奥底にずっと淀み続けていた。

あるとき、
たまたま観た映画の中で
老婆が道を歩きながら
ぼそぼそと呟く言葉(?)が耳に付いた。

セリフではないようだった。
フレーズからして
何かの詩だろうかと思った。

「働きたいけども休み
喋りたいけれども黙り・・・」

そう聞こえる。

気持ちや意欲はあるけど
働かない、喋らないって
どういうことだろう?

これはどういう意味だ?
何を伝えようとしているのだろう?

気になって原作の小説を買った。

そこにあったのは
「最上のわざ」という
手紙の中に記されていた詩だった。

この詩の言葉を目でゆっくり追うにつれ
胸の底に長年うねっていた澱が
すーっとどこかに吸い込まれて行くように
消えて行くのを感じた。


自分が誰かの役に立つことは幸せなことだ。
自分の職業で実感出来たりすればなおのこと。

生まれて来たからには
自分の存在意義を見つけたい
誰でも一度はそう考える。

自分が誰かの役に立ったり、
世話をして感謝されたり

人に対して奉仕すること以上に
尊いことがあるなど
私には考えの及ぶことではなかった。

祖父は体中の痛みがありながらも
いつも穏やかな表情で本を読み、
祖母の介護を淡々と受けていた。

父は進行の早い病状により
大柄だった体はみるみるしぼんで行き、
それとともにあっけなく意識もなくなった。

ほとんど家にいることがなく
無口で、心に残る親子らしい会話など
したこともなかった。

二人の姿を私はどのように
受け止めればよいかわからずに
葛藤とともに傍観した。

彼らは私に尊い姿を見せてくれていたのに。

「最上のわざ」を教えてくれていたのに。


この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで
神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、
けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、
それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

それは祈りだ。

手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

                                                                                    Hermann Heuvers

ヘルマン・ホイヴェルス神父

人は年を取っても、病気で動けなくなっても
最後まで誰かのために生きることが出来る。

それは自ら働き、自ら話すことではなく、
それを受ける役に廻るということだ。

自分の生きる姿そのものを
誰かの存在意義のために捧げる。


それが「最上のわざ」だ。


父と祖父の最期を見せて貰えなかったら
私はこの詩を見つけなかっただろうし、
たとえ、読んだとしても
理解できなかったかもしれない。

父と祖父の姿は
この世で最も尊い役を
引き受けていたということが。


この詩のことを
どこかに書き留めておきたかった。

タロットカード№5「法皇」※教皇
ここがいいんじゃないかと思った。









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