お母さんの大きな古時計~壊れたんなら、いっそ時間を見ないで過ごしてみるチャレンジ~
約35年、私に時を告げ続けてくれた
居間の置き時計が動かなくなった。
黒の巨大な目覚まし時計。
そのベルのけたたましさは非常ベルの如く。
鳴らすのは恐ろしくて
一度も目覚ましとして使ったことはない。
電池交換のタイミングではなかったので、
寿命が来たのだとわかった。
息子たちが生まれる前から
当たり前に私の傍らにずっとあったので、
すぐに粗大ごみに出す気持ちになれなくて
まだ定位置に置いたままだ。
さすがのたね二郎(二男)も
「修理、無理かな」と
少し残念そうに眺めていた。
生まれる前からあった時計だもんね。
なので、時間を知るのは
スマホかPCの画面だけになった。
しかも「目に入る(see)」状態ではないから
わざわざ「見る(watch)」までは
時間がわからない。
それで、どうせなら
時間を見ないで過ごしてみようと思った。
「目に入らない」限りは時間を無視してみた。
~検証~
人の体内時計はどのくらいあてになるのか
実際に一日過ごしてみると
自分の感覚と実際の時間に大きなズレはなく、
朝起きて朝食の準備をして、
洗濯、掃除をして一息つくと9時少し前。
お腹が空いたなあと思って時間を見ると11時半。
ちょっと昼寝でうとうとしてしまっても
3時過ぎかなと当たりをつけてスマホを見ると
15分も時差はない。
人の身体って不思議ね~なんて感心する。
そしてこのまま腹時計だけでも
いけるかもしれないなんて思ったり。
30数年、私の視界に居てくれたけど、
キミがいなくても何とかなりそうだよ
と、動かなくなった往年の執事に合掌した。
私は子供の頃から時計を見るのが苦手だった。
5時とか7時とかの「o'clock」でさえ、
文字盤がないとしばらく固まってしまう。
1から順に数字をあてはめて
12等分のそれを数えないとわからなかった。
ましてや
「3時15分前は何時ですか?」なんて
どういうことなのか、意味がわからなかった。
意味がわからないのに誰にも聞けなかった。
だってどう聞いたらいいかすら
わからなかったから。
算数の時間、
正解できないと座らせてもらえないので
最後まで立っていた。
授業の時間が終わるまで立たされた。
初めてもらった誕生日のプレゼントは
赤い目覚まし時計だった。
私の誕生日が時の記念日ということよりも、
時計が読めないからという理由だ。
7時に起きる、9時に寝る。
8時に家を出る。
5時までに家に帰る。
小学校に入学してしまって
時間というものが現われた。
時計の見方を無理やり教えられ
以来ずっと
時間にいつも縛られ、追われているのが
私には最大のストレスだった。
『〇時だからもう寝なくては』
じゃなくて、
『眠いから寝よっ』
ああ、なんてしあわせなんだろ。
翌朝、眩しくて目が覚めた。
この時期は太陽の角度が変わり、
明り取りの窓に反射して
陽の光がもろに差し込んで来る。
それがちょうど自分の寝ている場所に当たる。
ぼーっとしたまま起きて顔を洗い、
湯を沸かし、コーヒーを淹れて朝食を作る。
その物音に起こされて
たね二郎も起きて部屋から出て来る。
顔を洗って、朝食を終えて着替えると
いつものように出勤して行った。
私もいつもの順番で家事をこなし
一段落してPCを開いた。
画面の時刻に目が行った。
時間はあと数分で6時だった。
え? 二度見した。
6時⁉
いつもより3時間以上早いじゃないのー!!
私は日の出とともに目覚め、
条件反射で動いていたらしい。
二男もスマホをほとんど見ないタイプなので、
私につられてルーティンに身を任せ
そのまま出勤して行ったのだ。
仕事は自営で一人でやっているので
誰に迷惑をかけるわけではないから
いいんだけど。
ウケる。
このおかしさをシェアしようと
たね二郎にLINEしてみた。
時間に余裕あるんだから
少しくらい冗談言ってみなさいよ~
つまんねえヤツだなあ
まあいいや。
それでも私はちょっと得した気分。
あれもしようこれもしようと
ウキウキしていた。
・・・
が、結局、午後から昼寝をしてしまい
得した分は、口の中の綿菓子のように
知らぬ間になくなっていた。
なので、
やっぱり時計はあってもいいかもと思った。
検証終了。
今日はこの辺で
では また~
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