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出かけてきたよ⑰(90年後のお礼参り②)

京阪神圏を結ぶ、JR西日本の「新快速」。
西は播州、東は近江へ。
西に出かけることは、これまでよくあったように思う。
ところが京都を越えて、東に出かけることは、ほとんど無かった。

京都を過ぎると、車内は人がまばらになった。
山の間を抜けると、車窓に美しき湖が広がる。
「後から、彦根に寄ろう。」
両親の言葉に、賛成。

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私は関西人だが、近江鉄道に乗ったのは、その日が初めてだった。
2両しかない小さな列車。扉は、先頭車両の一部しか開かない。
遠くの山々が美しい。とても惹きつけられる。
電車を乗り換える。車窓には「天使の梯子」が広がっていた。

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門前町は、お人払いされていた。
これまで、さぞたくさんの方で賑わっていただろうに。
駅を出てすぐ、一の鳥居を通る。
この方向でいいのかな?と思ったところに、お使い様🐱

どの家屋も、絵馬をかざっている。
いつの間にか、お使い様は何処かへ。
「糸切餅を買っていきましょう。」と
道中見つけた店舗に、母は突然入ってしまった。

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多賀名物、糸切餅の老舗の一つ。
奥から、ご主人が飛び出してきた。
「あれ~っ、すいません。これから出かけるんで、もう店閉めよと思て。
 今日は、片付けてもうたところです。」


ご主人は、とても屈託のない方だった。
昨今のご時世で、お客さんは激減。
でも、老齢の自分の体力に合わせて店を開け、
ゆったりと餅づくりができるようになったこと。
時代の流れで、糸切餅を製造する他店は機械化がすすんだが、
ご主人のお店は手作りで作っていること。
店内に飾っている、同店へのファンレターや
テレビの取材を受けたことを伝えるポスターを嬉しそうに見せながら、
たくさんの人に餅を食べてもらうことが喜びであることを語ってくれた。

・・・おや、ご主人、出かけるんじゃなかったのかな・・・?
明るいご主人のおしゃべりに引き込まれつつも、辞することにした。
そこへ、ご主人はちょっと待って、と奥からタッパーを持ってきた。

「今日はもう、箱詰めにしたのは売り切れ。
 これね、切れ端ばかりなんだけど。食べてってよ。」

口の中に、喜びが広がっていった。
”「おいしい」の他の言葉がもっとあればいいのに。ほんとに美味しい。”
そう伝えると、ご主人は相好を崩した。

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ご主人の厚意に、元気になった後。
道なりに歩んでいると左手に、鳥居が見えてきた。
何だか、とても気になる。
あとで、おうかがいさせてもらおう。
(後に判明。日向様がいらっしゃいました)
ほどなく、お多賀さんの鳥居の前へ。

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空が、晴れ渡っていた。
冬だけど、辺り一面あたたかな空気に包まれている。
なんて美しいところなんだろう。

鳥居をくぐると、太鼓橋がかかっている。
かなりの傾斜だ。よく見ると、端には鎖が装着。
まるで強面無頼漢のような、物々しい姿。
”・・・・そうか、これをつかみつつ、登っていいんだ。”
登りだした私に続き、両親も。

この太鼓橋は、「太閤橋」と言う名前。
太閤秀吉が、自分の母、大政所の病気平癒を多賀大社に祈願。
その甲斐あってか、大政所の病は治った。
秀吉はお礼に米を、お多賀さんに奉納。
その米で、この橋は造られたとのこと。
(最近、🐵様縁の地に、お呼ばれが続いているなあ。)

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本殿の前に立つ。
爽やかな風を感じる。厳かな太鼓の音。祝詞が始まった。
赤ちゃんとそのご家族らしき方々が見えた。
新しく誕生した命。おめでとう。

そして。
お招き、ありがとうございます。
私に、この世全ての生き物、物へ命を授けてくださり、
深く感謝しています。
90年前にこちらにうかがった祖母に代わり、
その気持ちを伝えに参りました。


お札を受けた。
お稲荷さんにご挨拶をしようとしたところ、太鼓の音。
再び、本殿の前へうかがう。今度は、七五三の祝詞。
今日は他の方々にとっても、おめでたい日だったのだろう。
続く祝詞に、心傾けた。

命あるもの、万歳。

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