此の世に遺したい、光⑩(食ベ物=自分)
私は普段、以下の食材・飲料を積極的に口にしない。
乳製品、小麦製品、畜肉、魚、大豆製品とトウモロコシ製品の一部、
人工添加物が入ったもの、アルコールとコーヒー。
体に摂り入れたことがあるので、
味、食感、美味しさなどは、一通り知っている。
でもリピートしなくていいかな、という感じ。
心が向いたら、これらの食材を口にすることはある。
実際に私に会ったことがある方は、
これらを口にする私の姿を見たこともあると思う。
私の食習慣について、わざわざここに記すことではないと、わかっている。
しかし、あえて綴っている。
なんとなく、そうさせてもらいたいからだ。
自分に問うてみた。
「今まで私が自分の食習慣について公にしなかったのは、なぜだろう。」
漠然と、自分にマイナスを被るだろうという思い込みがあったから。
「めんどくさい人」と、私のことを思うだろうと思っていた。
人の考え方は、それぞれ。
お互い、自分のままで、気持ちよくお付き合いできる人と、
お付き合いしていたらいい。
私が私であることで、差しさわりがあれば、
相手の方は、無理する必要はないのだ。
私の方も、無理する必要がない。
自分の執着(恐れ)で自分自身を縛らなくなった今、
一歩前に進んだような気がする。
「与えられたものは、なんでも残さず食べないといけない」
という価値観の影響を強く受けて、生きていた。
生真面目な私は、自分の体に合わない食材も、摂食し続けた。
また、ちゃんと食べないと悪いことをしたことになるという恐れを
自分で作り、自分自身を囚えていたと思う。
私の腸内環境は、かなり荒れていたと思われる。
幼い時から渡米する頃まで、
体のいたるところに頑固な湿疹があった。
そのため、人前に出ることが恥ずかしく、
日に当たったり、スポーツをすることも躊躇した。
化粧品などにも合わないものがたくさんあり、
合うものに出会うことが難しかった。
また、年齢相応に肌を出すこともできなかった。
(惜しかったなあ。今からでも、やるか👙?!)
「健康に生んであげたんだから、どこも悪いはずがない。
あなたの気にしすぎだ。」
と両親に言われると申し訳なくなり、家族に不調を隠していた。
そして、ますます追い込まれるような気持になった。
振り替えると、私の場合。
与えられたものをみんな食べていたことは、
食べ物を大切にしているようでいて、そうでなかったと気づく。
意識で食べているだけで、全ての食材に向き合い、
感謝していたとは言い難かったからだ。
私の家族は皆、食物・化学製品アレルギー持ちだ。
専門的なことは知らないが、家族がアレルギーをもつ食材は、
高い確率で私が上手く消化できないものだと思っている。
それらの食材を無理に摂食すると、私は健康を損ねるだろう。
体を守れるのは、自分以外にだれもいない。
長年、周囲の反応を気にしていたが、
自分を他に明け渡すのは、もうやめようと思った。
先日、ようやく日本の両親にも話せた。
「私、~~は食べるけど、~~~~~~は食べると辛くなるんだよ。」
「ふうん。あ、そう。」
え?
それだけ?!
なんだかずいぶん長い間、私は勝手に色々、思い込んでいたようだ。
私にとって「食」は、自分の生き方そのものに気づく学びとなった。
自分が取り入れるものは全て、自分となる。
それは食材だけでなく、周囲の言葉、社会通念も。
何を取り入れるかは、自分の選択だ。
自分の直感に従うことは、何よりも尊い。
だからこそ、自分が選りすぐった選択だけ取り入れていい。
魂の声を聞くことに、罪悪感を微塵も感じる必要はない。
一瞬先に、私が死ぬならば。
この感謝を、光を遺したい。
ありがとう。
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