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だれもが輝く舞台をつくりたい。|ニュー銀座堂

あなたの「やってみたい!」をアシストする間借り情報メディア・間借り人(まがりん)。わたしたちは『点と点を“線”にする。』をコンセプトとし、発信しています。

東海3県(主に名古屋)で間貸しをしている方に取材。記念すべき第10回目となる今回は、いつもより“少し”遠くへ。

なぜギャラリーなのか、若くして独立を決意した渡邉 百恵さんに尋ねました。

渡邊百恵(ニュー銀座堂 オーナー・スタッフ)
1999年 岐阜市生まれ 。人生を賭けて、町で楽しく好きに生きてます。


高校時代は演劇部だった

「将来どうするか、めっちゃ悩みました。思い返せば幼稚園のお遊戯会は楽しかったし、演劇でいろんな役になれたら、いろんな職業を体験ができるんじゃないかと思ったんです」と百恵さん。

「演劇がやりたいんやろ?」とお母様に聞かれるくらい、演劇熱が高まっていたそう。岐阜農林高等学校への入学が決まったタイミングで演劇部の人と出会い、「待ってるね」と。そのひとことで演劇をはじめることに。

「農業高校らしく、農業をテーマに創作劇に取り組んでいました。2つの農業高校が町のせいで合併することになって、どっちの高校が生き残るのかをサッカーで決める、みたいな。そういう劇でした。部員は60人ぐらいいて、全員一度は舞台に出ます。お店でいうと営業も建築も全部やるんですよ。私は舞台に立つより舞台監督を務める方が楽しかったです」


“地域”に目を向けるように

高校卒業後、京都文教大学 総合社会学部 総合社会学科国際文化コースに進学。日本語教員養成コースを学びながら“まちづくりとサードプレイス”について研究していた百恵さんは、大学時代を振り返りながらこう話す。

「演劇を通じて地域のことを意識するようになって。大学の座学では、『この地域はこれで盛り上がったけど、この点ではこうだったね。この地域は同じことをしたときにだめだった。それはなぜか』と分析したり、『過疎化した地域で地域活性化が必要なのか』を考えたり。やってて楽しかったから、国際ではなく地域に関する授業をする先生のゼミに入りました」

卒業論文を書くシーズンにさしかかると、「自分が求めている居場所について考えて、最終的に“サードプレイス”という言葉にたどり着きました。これだ!これこれ!と、しっくりきました」と百恵さん。

大学卒業後、カフェバーを開業(2023年2月閉業)し、事務所を設立。

まちで楽しめる若い世代が増えてほしいです。例えば、マルシェで『ここってカフェもやってるんだ』と知って足を運ぶとしたら、それって循環になるじゃないですか。まちに何個か自分が知っている場所があると歩きやすいと思うんです。そういうことがしたくて、カフェバーと事務所を同時に始めました」


偶然の連続でギャラリーをはじめることに

カフェバーを経営していたときは関市近くに住んでいた百恵さん。通勤時間が長いことから引っ越すことに。友人とのシェアハウスが決まると、「『空いてるし、一階でなんかやってよ』と言われたんです。シャッターを開けて挨拶する光景が浮かんで、いいなと思って、何かをやってみたくなった。やるにしても、お金に余裕があるわけではなかった......。自分以外の人が彩ってくれる場所はなんだろう?と考えて、ギャラリーをやろう!と。だから、流れ流れで行きついたんです!」

大学時代に学んだ、あることを思い出す。「特に1階が重要。手前に机を置いてオフィスにしました。オープン時はこたつにしていたからか、『こたつの店』って覚えてもらっていることが多くて(笑)。『こたつの子?』『あ、そうです』なんて会話も」と百恵さん。


ニュー銀座堂って、どんな場所?

「演劇とかダンスだと一緒にやる仲間がいるから相談できるけど、 展示する人って、基本的には自分の作品と向き合っている。孤独だと思うんです。きっと悩みを打ち明けたくなるときがあるじゃないですか。そうなったときにふらっと来てもらえる場所になったらいいな」

どんな人でも問い合わせてもよいか尋ねると、「うちには明確なルールがないし、ポートフォリオがなくても大丈夫。学生さんや初心者の方にもぜひチャレンジしてもらいたいです。展示をしてもらって『この子、こんなことやってるんですよ』と私が紹介してあげて、みたいな......。舞台がギャラリーになっただけで、学生時代(舞台監督)からさほど変わってないですね」と百恵さん。

展示の在り方は多種多様。

「例えば、好きな雑誌の切り抜きで展示する、とかでもいいし。自分がアーティストじゃなくても好きなアーティストを呼んでも、どんな形でも歓迎です。展示期間って、ギャラリーが自分の家みたいな感じになってくるんですよ。おかえり感があっていい」


1人ひとりの“やりたい”を実現する

「人が変われば展示物も変わる。みんなからは『無理です』って言われるんですけど(笑)ここは私じゃなくても成り立つ場所であってほしくて。それこそ、高校生の子にバイトしてもらいたいです。いずれ下の世代に引き渡していけるようにしたいです。もし何かあったら私が責任を取ります。1人ひとりの“やりたい”をやってもらえたらいいな」


= 編集後記 =

取材前日がお誕生日だったそうです!おめでとうございます。

人との縁や経験があとあと繋がってくる。そんな百恵さんを取材させていただいたことで「将来は今の地続きなのだ」と気づくきっかけになりました。

分け隔てなく接してくださる百恵さんやアーティストさん、そして地元の方々が柳ヶ瀬商店街で待っています。ぜひ皆さんもふらっと立ち寄ってみてくださいね!(zaki)




文:zaki
編集、写真:Re!na

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