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”そのうち会いに行く” が嘘に変わる前に

学生時代、大学の近くで一人暮らしをしていた。
それは母方の祖母の家まで電車で一時間くらいのところで、会いに行こうと思えば会いに行ける距離だった。

実家からは高速を飛ばして3時間近くかかかる場所だったが、子供の頃は家族で毎年数回訪れていたし、特に夏休みは祖母の家にしばらく滞在したりしていた。
学業が忙しくなり、さらに思春期に入ってからは徐々に足が遠のいて、
両親が祖母の家に行く時でも毎回はついて行かなくなった。

祖父は亡くなっていたので、祖母は一人暮らしだったが、詩吟の教室に通ったり交友関係も広い活発な人で、すぐ近くに伯母も住んでおり、楽しく過ごしていたようだった。
(私はこの伯母さんが苦手で足が遠のいた大きな理由の一つでもあった。)

電車で一時間。
今までで一番物理的に近い距離。

でも私はなかなか会いに行かなかった。
一人で会いに行くのがなんだか気恥ずかしかったし、
伯母に遭遇する確率が高いのも嫌だった。
たまに電話で様子をうかがうものの、”そのうち遊びに行くね”と言う割に、実際には出向かなかった。
当時付き合っていた彼と車で出掛けた帰りに、祖母の住む街の近くを通りかかったが言い出さなかった。
親にもまだ紹介していない彼を祖母に合わせるのが恥ずかしかったからだ。

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大学3年の頃、就職に有利だと聞き、ある国家資格の取得に向けて勉強していた。
どうして急に気が変わったのか、今でもよくわからないが、”この試験が終わったら、その足で祖母に会いに行こう”と決め、電話で祖母とも約束していた。
この時、最後に会ってから2年くらい経っていた。


―――  試験の二日前、祖母が亡くなった。


冷静に見れば、いつそうなってもおかしくない年齢だったが、その時の私にとってはあまりにも突然で、受け入れ難かった。
つい数日前、電話で会いに行くと伝えたばかりではないか・・・。
実際その日も祖母は元気そうに見えたらしい。

葬儀は試験当日だったが、両親と相談して予定通り試験は受けることになり、私は祖母の葬儀に参列しなかった。
とは言っても、悲しみと後悔の念に苛まれて、試験どころではなく、結果としては散々だった。

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先月、今月と、二人の友人からおばあ様が亡くなられたとのことで、急遽帰省することになったと立て続けに連絡があった。
このご時世で、二人ともしばらく会えていなかったのだと言う。

私は祖母のことを思い出した。

私は会いに行けなかったのではない。
くだらない理由や意地で会いに行かなかったのだ。
重い腰をようやく上げた頃には、祖母はもういなくなっていた。

チャンスはいくらでもあった。
会いに行こうとすれば行ける距離にあった。
でも私は行かなかった。
‘‘そのうち会いに行く”は嘘になってしまった。

会いに行けるならその時に会いに行ったほうがよい。
それは相手のためじゃなく、自分のためだ。それでいい。
大切に思う気持ちは、いつか伝えられなくなってしまう。
その時は、自分には思いもよらないタイミングで突然やって来るから。

会えないんだったら、電話でも、手紙でも、メールでも何でもいい。
大袈裟だと笑われたって、そんなことはお構いなしで、気持ちを伝えたらいい。
私はそれがどれほどその後の自分を救うか、後悔を減らすか、
身をもって学んだ。

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お通夜の日の早朝、
母と伯母が何やら帳面をのぞき込んで話していた。
どうしたのかと尋ねると、祖母は自分が亡くなった時に必要な一切合切を記していたのだという。
お金まわりのことはもちろん、連絡しなければならない人や場所、
遺影はこの中から選んでほしい、戒名はこれにしてほしいなど、
まだ終活という言葉はなかったが事細かにリストアップされていて、
皆が口々に、”おばあちゃんらしい”と言った。

遺影用と書かれた袋には数枚の写真が入っており、その内の一枚には、お宮参りで生まれて間もない私を抱く祖母が写っていた。

「この写真を遺影にしてもらってもいいかな・・・」

母も伯母も、静かに頷いた。
3人とも微笑んでいたが、目には涙が溢れていた。

最後までお読みいただきありがとうございます。 また是非遊びにいらしてくださいね! 素敵な一日を・・・