美しい人。謙虚さをもう一度考え直す。
美しいなーと思う人がいる。彼女の美しさの象徴は、あまり語らないところだ。
彼女はいろんなことを知っているけど自ら話す事があまりない。でも聞くと答えてくれる。
わたしは自分からアレもコレも話したくなる。性分とはいえ、あまり多くを語らない彼女の美しさに焦がれる。今日みたいに雨で、そして部屋で一人、じっくり何かを考えたり、それこそ瞑想したりなどする時間がもてたとき。彼女のその佇まいを思い出して、「あの人は素敵だなぁ。」と思ったりする。
先日阿字観をしていた時、頭の中に
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暴いてどうするのだ
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と、誰の声でもない声で自分に対しての問いが出てきた。
暴いてどうするのだ。
なんとなく気にかかる人がいて、「きっとこの人はこう言う人なんだろう。」と思う時がある。
きっとこの人は人を見下してるからこういう言動をするのだろう。
きっとこの人はマウンティングしているのだろう。
きっとこの人は下手に出ることで保身をしているのだろう。
さまざまな"だろう"で、わたしは、もしくはわたしたちは人を判断したり、区別したり、ジャンル分けしたりしていて、自分の判断、区別、ジャンル分けの仮説を証明したり、第三者に、自分の分析力をみせたくて人に話したりしていることがある。と、おもう。少なくともわたしにはある。自分にそれが向けられるのは嫌がるくせにね。
それらはあくまでも仮説で、心理学に基づいているかもしれないけど、本を読んだ程度のエセ心理学で他人様の内側を探り掘り出し、本人のいないところでそれを他者に知らしめて、
「そんなことを暴いてどうするのだ。」
と、自分に問いかけた言葉だった。
真実ではないかもしれない、または真実であったとしても誰にも知られたくない人の心のクセなどを、わたしのような他者が暴くだなんておこがましい。
個人事業主をしていて、「snsで自分はこういう人間です。」を主張していると時に謙虚さを欠いてしまっている事にも気づく。主張するには謙虚さは邪魔になると勘違いしていたかもしれない。
そう、あの人の美しさ、語らない佇まいに惹かれているのは謙虚さをキレイに纏っているんだと思う。
そして、もう一人、わたしが尊敬してやまないビジネスパーソンの机には、"謙虚"という言葉が何年も貼っているのを知っている。
わたしはもう一度、"謙虚"を考え直そう。そしてあの人たちのように謙虚をキレイに纏えるような人になろう。これから阿字観タイムだ。今日の阿字観の時に謙虚というワードが出てくるといいなぁ。
今日も読んでくださってありがとうございます。またnoteで会いましょうね。寒いから、あったかくしておやすみなさい。
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