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【エッセイ】たった2週間のホームステイ

16歳の時。
学校のカリキュラムでカナダへホームステイができるというものがあった。

どうしてもどうしても行きたかったから、母に土下座して頼んだことを思い出す。

結果的にオッケーをもらい、一生懸命勉強してテストに合格。
無事、カナダへと飛んだ。


着いてすぐ驚いたのは、湿度だ。
8月中旬で日本はジメジメ蒸し暑く、空港内もものすごい暑かった。

カナダの空港はむしろ涼しいくらいだった。

外に出れば確かに暑かったが、日陰にいれば心地の良い風がすり抜け、「最高じゃん」とみんなで口々に言い合っていた。


初めての海外はそんな驚きの連続だった。


迎えにきたのはホストファミリーのママと当時13歳の長男くん。

運転していたのは、まさかの息子くんだった。

え??運転免許ないよね?と思ったのも束の間、普通に私と同級生を乗せてそのまま走り始めた。

気が気じゃなかった。


お家に着いてから各々自己紹介して、またまたカルチャーショック。

3人兄弟の人種が全員違ったのだ。

運転してきた長男は白人よりだけど少しアラブ系の肌。
思春期真っ只中で気難しそうな次男は黒人。
まだまだ幼く可愛らしい三男は白人だった。


パパさんはギリシャ系カナダ人。ママさんはフランス系カナダ人だそうだ。

おじいさんおばあさんに黒人さんがいるらしく、次男くんはその血を受け継いだと聞いて、人種のるつぼとはこのことかと衝撃を受けた。


学校のカリキュラムで行っているので、日中は学校に通っていたわけだが、必ず朝ママさんがお弁当を持たせてくれた。

紙袋に入ったサンドイッチ。そして日替わりでいろんな果物が入れられていた。


・・・・グレープフルーツはどうやっても食べられなかった。
皮が、分厚すぎる。

どうやってむくんだ。

必死に指をねじ込んだが、指が痛いだけだった。



途中、迷子になった日もある。

ママさんがスーパーまで連れてきてくれたのだが、まさかの私たちを忘れて帰ってしまったのだ。


見知らぬ土地。言葉も通じない人々。
めちゃくちゃ怖かった。

当時はスマホなんてない。
当たり前に携帯(当時はガラケー)は持ってきていない。

スーパーにあった公衆電話は日本と違って使い方も分からない。

私たちが出した結論は、「歩いて帰る」だった。
来た道なんて覚えてないから、何となくで歩き始めた。

どんどん遠ざかっていく街並み。
気付いたら山の入り口みたいなところにいた。


まずいまずい。
これはまずい。

戻ろうという私と、このまま行こうという同級生とで大喧嘩。
結局スーパーに戻って、【LOST(迷子)】と書いた紙を出して店員さんに説明を試みる。

そんな中、バングラデシュ出身のママさんが声をかけてくれて、店員さんとも話をつけてそのままホームステイ先まで車で送ってくれた。


今考えたらはちゃめちゃに危ないが、当時の私たちにはそれしか思いつかなかったのだ。



また別の日には観光スポットで馬に乗るというイベントがあった。

私が乗った馬。



レッドビッグ。



そう。


赤くてデカい馬だ。



彼はとにかく遅かった。
1歩進んで水を飲み、また1歩進んで草を食べる。

他の参加者がどんどん進む中、私だけが最後尾で取り残される。

ベロベロベロベロ。

レッドビックはずっと飲んで食べてしていた。


私はというと、恐怖で固まっていた。

それが初の乗馬体験だった。


またある日。次男くん三男くんとかくれんぼして遊ぼうとなった。

「ワーン、ツー、スリー」と数える私。

「フォー」と言うとすぐにダメ出しが飛んできた。次男くんだ。


「ノー!!!フォー!!」と、私の発音がいかにダメかというお説教タイムに突入。

全くかくれんぼができない。

三男くんは無視して隠れてしまっている。


必死に言い直し、やっと許可が出たころには日が暮れていた。



そんなこんなあったカナダ。


最終日前日にママさんから、髪を切ってあげると言われた。
ママさんは美容師さんだったのだ。


切るぐらいいっかと安易な気持ちで受けたのが間違いだった。

あれよあれよという間に、髪の下半分が金髪になっていた。


・・・・?????


おかしい。これはおかしいぞ。

どう考えても脱色されている。


そのままじっとしていたら、髪は赤く染まっていた。


オーマイガー。


これはまずい。めちゃくちゃまずい。
明日は最終日。帰る前に写真撮影もあるし、引率の先生もいる。

拙い英語で「ノー!ジャパン ディスカラー ノー!!」と訴えたが、笑顔で「オッケー!」と返され、そのまま「ゴースリープ」と言われた。


何もオッケーじゃない。

全然伝わっていなかった。


翌日。
先生からはめちゃくちゃに怒られ、写真も私たちだけ除外された。



でも、この海外経験で1番印象的な出来事が、帰りの飛行機で起こった。

搭乗するとダンディーなおじさまフライトアテンダントさんに「ナイスヘアー!」と褒められたのだ。

「サンキュー!」と返しご満悦な私。


その後、機内は暗くなり就寝タイムに。
私の前の席の女の子が偶然にも誕生日だった。

小さな声で歌われる「ハッピーバースデー」の曲。
機内で眠れずにいた私も、小さく拍手していた。


すると、まさかの先ほどのフライトアテンダントさんが、「これ余ったからどうぞ」と言って、ケーキを持ってきてくれたのだ。

これには驚いた。

「君がナイスヘアーだからプレゼントさ」と粋な計らいをしてくれたことがすごく嬉しかった。


そして飛行機を降りる時、ケーキをくれた方を含む数名のフライトアテンダントさんが私にグッジョブポーズをしてくれて、本当に本当に素敵な飛行機旅になった。



とまぁ、こんな感じでホームステイをしたわけだが、英語の上達はほとんどなかったと言っていい。


これ以外にも、ママから日本の政治について聞かれて困ったり、車マニアの長男くんのトークについていけなかったり、同い年くらいの中国人留学生の子たちが英語ペラペラすぎて自分たちの不出来さに悲しくなったり。


いろいろあった。


でも、あの時、行くことを選んでよかったと心から思ってる。


そんなことを思い出したから、先週髪の毛を赤くしてきた。


・・・・若いうちだからよかったのだと気付けた、そんな38歳。

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