【エッセイ】いつの時代も厳しい人が優しかった
小学生の時に赴任してきた先生。
私たちが3年生の時だった。
先生はいわゆる新卒採用で、まだまだ若く熱血で、やる気満々。
そんな先生が1度だけすごく怒ったことがある。何で怒られたかはもう忘れたけれど、私たちが悪いことをしたのだけは分かっていた。
クラスみんなで校庭で待ち構えていた先生に謝ったことを覚えてる。
その後先生は、私たちに対してなぜ怒ったのかを説明し、そして遊んでくれた。
とてもいい先生だった。
幼馴染のお母さん。
小学生の時に彼女からも、ものすごく叱られた。
ウソをついたからだ。
「そんなウソはすぐにバレる。あなたを信用している人たちが、みんな悲しい思いをするよ。」
言われてすぐは、反抗心で謝れなかった。
でも、娘の友達で、友達(私の母)の子どもという立場の私に、嫌われる覚悟を持って注意してくれた。
今でも私を気にかけて接してくれる優しい人だ。
中学生の時。
当時はなかった言葉「熱中症」。
私は子供の頃、何度かこのせいで倒れている。
その日はテストの日で、だんだんと気分が悪くなっていった。
やっとの思いで手を上げ、「先生、保健室に言っていいですか?」と言葉に出した瞬間、意識が飛んだ。
先生がすごい勢いで私の名前を呼ぶ声だけが、耳に残っていた。
その先生は数学の先生だったが、すごくすごく厳しい先生だった。
みんなからも少し距離を置かれるような、そんな先生。
私が倒れそうなところを猛ダッシュで受け止めて、「大丈夫か!?」と叫び、私の腕を自身の肩にかけて、必死で保健室まで運んでくれた。
私はその先生が大好きになったんだ。
社会人になって出会った当時50代後半だったパートさん。
みんなに嫌われていた。
口調がキツいし、厳しかったからだ。
私が毎朝職場に行くと、誰よりも早く準備をして、正確に仕事をしていたパートさん。
私もどちらかと言うと少し早く行っていたので、自然と話すことが増えた。
彼女が怒っていること、注意していることは、何も不自然なことではなく、その方が効率がいいだろうな、社会人として当然だなと思うことばかりだった。
当たり前に、私もたくさん叱られたし注意を受けてきた。
でも、けじめがしっかりとしていて、仕事が終わったらほとんど怒られることは無かった。
私は誰よりも彼女のことを信用していたし、すごく仲良しになれた。
同じ職場で働いていた女性のチーフも、けじめがしっかりとした人だった。
仲良くはなれなかったけれど、彼女の元で働くのはとてもやりやすかった。
ダメだったことはその場で叱り、仕事が終われば何事も無かったかのように振る舞う。
上司のあるべき姿を見れた、貴重な体験だった。
優しい人、というのは結構いる。
でも、本当に自分のことを思って叱ってくれる人を突き放すのは、自分自身にとっていいことなんだろうか。
私にとって記憶に残っているのは、厳しい人ばっかりだ。
みんな優しい人だった。心の底から優しい人は、相手にとって自分が悪者になっても道を正そうとしてくれる人だと、私は思う。
もちろん、感情で怒ってくる人、それを引きずって仕事終わりにもネチネチ言ってきたり無視してくる人もいる。
いつもは優しいけど、いざという時に逃げ出して頼りにならない人だっている。
今の世の中、相手には優しく接しようという風潮が強いけれど、優しくされた末に待っているのは成長できなかった自分なのかもしれない。
だって、相手の優しさは「本当に優しさ」ではないことの方が多い気がするから。
嫌われてもいい、悪者になってもいい。それでも相手のために叱ってくれる人こそ、「本当に優しい人」なんだろうと、私は思っている。
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