【エッセイ】ご利益って本当にあるんだろうか
2024年1月中旬。
いつも行く神社で例年通り挨拶をしておみくじを引いた。
十数年ぶりの大吉だった。
毎年毎年お守りを買い、おみくじも引いているが、ご利益というものは本当にあるんだろうか。
ちなみに私の実家は仏教信仰ではあるが、他の大勢の日本人と同じように、敬虔な仏教徒ではない。
クリスマスも祝うし、ハロウィンにはお菓子を食べるし、バレンタインにチョコも渡してきた。
思うに、たとえ仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと、日本人の心には神道が根付いている気がする。
だから毎年みんな神社に行くんではなかろうか。
神道とは簡単に言えば、自然崇拝や八百万の神などといった自然発生的ともいえる神々を信仰するものだ。
何というかこれは、日本人の根本にある、DNAにまで沁みついているような、そんなものな気がする。
自然災害が発生したときには、何に祈るわけでもなく、誰かを恨むわけでもなく、暴動が起きるわけでもない。
もちろん悲しい。それは当たり前だけど、ただ「そこにあるもの」として過ごしている。
ご利益に関していえば、小さな幸せを感じられるか、誰かに感謝できるかどうかだと思っている。
幼い頃母に、「神社は何かをお願いする場所じゃなくて、日ごろの感謝を言うところなんだよ」と教わった。
たとえば、街頭インタビューをしてみるとする。
街ゆく日本人に「初詣には行きましたか?神様に何を伝えましたか?」と聞く。おそらく多くの人から「彼氏/彼女ができますように」とか「お金持ちになれますように」などといった答えが返ってくると思う。
参拝=願いを叶えてもらえる場だと思っている人が大半ではないだろうか。
ではこう質問してみる。
「参拝した神社の神様はどんな神様でしたか?」と。
おそらくほとんどの人が「分からない/知らない」と答えるだろう。
かく言う私もその一人だ。
願いを叶えてもらおうとしているのに相手がどんな神様かも知らないとか、海外の人からすれば驚きだろう。
神道はまさにそういうものだと思っている。
神様は人ではない。自然そのものなんだと。
きっと最初は自然に祈っていたんだと思う。
「作物がたくさん取れますように」「災害がこれ以上起こりませんように」
時が経つに連れて、人間の欲はどんどん増えて、自然に任せられない願いも出てきたのかなと思ってる。
私自身、冒頭にも言ったように神道ではないから、本来の歴史は分からない。
だけれど、何となくそんな気がしている。
同じ出来事が2人の人に起こったとする。
でも、それをどう解釈するかはその人次第。
その出来事をご利益・幸運・幸せだと思うのか、文句ばかり出て気付けないのか。
私は前者でありたいと思う。
とりあえず神様には、大吉ありがとうと言いたい。
2024年はいい年になる、そんな予感がする。
サポートよろしくお願いします!頂いたサポートは保護猫のために使わせていただきます☺️