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水と修道女 夜の椰子

 何処ともなく、はるかなる時のさらなる昔。

 教会の庭。老いた修道女が石のベンチに座り、骨ばった茶色の大きな手でなにかを編んでいる。クリーム色の細い毛糸に黄金色の編み棒をあて、慣れた手つきでせっせと小さな上着を編んでいるのだ。
 信徒のシルビアがもうじき赤ちゃんを産む。シルビアは午後三時になると必ず修道女に会いに来る。シルビアはいつも栗色の髪を首の横でぷつりと切りそろえている。もう少し伸ばした方がステキよ、いつか修道女はシルビアにそう言った。シルビアは「これがいちばんわたしに似合っているの」と胸をはった。シルビアはおしゃべりだ。村中のうわさを聞き集め、それを修道女に告げ口することを日課としている。昨日は鍛冶屋のホセが隣町の娘と駆け落ちしたのと言っていた。最近、神父さまのご機嫌が悪いのは疫病神が村にやってきたからよ、とも言っていた。シルビアが疫病神と呼んでいるのは外国からこの村に移り住んだという女性だ。一度、野道ですれ違った。アジアの人かしら。たしか水玉のワンピースを着ていた、ワンピースは濃い色の肌によく似合っていた。すらりと痩せていた、黒い髪を首のうしろで束ねていた。日曜日のミサにはまだいらっしゃらないけれど、それはこちらに越してきてまだ日が浅いからでしょう。
 シルビアの赤ちゃんが男の子でも女の子でも似合うようにと修道女はクリーム色の毛糸を選んだ。じき冬だ。赤ちゃんにもあたたかい上着が必要だわ、修道女はそう考えたのだった。
 夕暮れ、冷えてきた。修道女は教会の地下室へと戻る。いつからこの地下室で暮らしているのだろうか。ずいぶんむかしだ。むかしは永遠だ。むかしは消えない。むかしは一枚一枚の絵画となり、修道女の心のどこかにぶら下がっている。いろんなひとたちがいた。女のともだちと劇場にいった。舞台では赤いドレスのジプシー女と貧相ないでたちの色男が激しく言い争っていた。色男は詩人だったのかもしれない。男たちと海で遊んだこともある。私はオレンジ色の水着を着て、浜辺で横になった。素足では砂をふめなかった。すぐにでも火傷になってしまいそうだったから。男たちは不思議な言葉を話していた。ブルー・アイズのどこかの御曹司に口説かれた。あの時御曹司がくれた言葉を私は忘れてしまった。南の浜は、はて、どこだっただろう。男たちとはどこでどんな風に知り合い、そして別れたのか、そもそも彼らの名前は?覚えていない。でもテキーラを覚えている。みんなでテキーラを舐めた。テキーラはリュウゼツランのお酒だ。舌先が痺れ、顔が火照った。夜の椰子の色と暗い空の色との区別をつけるのは案外簡単だった。
 それから?記憶の半分はかつての現実で残りの半分は今の妄想だ。記憶から這って出た。頭の芯がつんとする。痛いのではない、ただ、つんとするのだ。ジャガイモと玉ねぎ、ニンジンとインゲン豆、村のばあさまからいただいたハム。修道女はスープを煮た。
 
 近くに神さまがいる、肌がそれを理解すると修道女の心は開いたばかりの薔薇の花のようにあからさまな歓喜を詠う。神さまは生きるもの、苦しむもの、死に急ぐもの、美しく惑うもの、うす汚く笑うもの、殺したもの、殺されたもの、虐げられたもの、正気を失ったもの、狂気をはらむもの、野心に蝕まれたもの、あらゆる魂をすでに知っている。神さまはこの世の謎をすべてご存じだ。マッチ売りの少女が最後のマッチをすったとき、少女のおばあさまは本当に少女の前にあらわれたのか。大晦日の街を忙しく歩くひとびとのうち、誰かひとりでもいい、マッチ売りの少女のおばあさまを見かけたものはいなかったのか。おばあさまの姿は少女だけのすてきな幻だったのか。
マッチ売りの少女を描いたのはアンデルセンだ。アンデルセンは言葉で絵画を成したのだと修道女は信じているのだった。

 ベッドに入る前、修道女はいつものようにお祈りに没頭する。お祈りを重ねると、しだいに神さまを強く感じる。ああ、今、神さまはここにいらっしゃる。神さまはわたしを知っている。わたしの祈りを聞いている。わたしは長い間、神さまを讃えてきた、どこかで自分は神さまの一部だと感じることもあった。わたしだけはない。みな、神さまの一部なのだ。神さまを見失い、路頭に漂う男と女、弱きもの、哀れなもの、殺められたもの、殺めたもの、じきに生まれてくるシルビアの赤ちゃん、オリーブの木に集う鳥たち、白い複数の卵、卵を狙うシロヘビ、鳥たちを狙う猫、猫を追い払うタカ、およそこの世に在るすべてのものは神の一部、あるいは神の子ども、悪魔でさえ、神の子どもであるに違いない。悪は神を超えられない。悪は愛を超えられない。憎しみは愛を超えられない。復讐は愛を超えられない。修道女の頭、唇、首、腕、乳房、下腹部のふくらみ、茂みの奥、腰、太もも、足首を祈りが貫く。全身がぐらぐら震えはじめた。腰が左右に激しく揺れる、手足は不規則なリズムで空を舞う。大丈夫、大丈夫、震えは神さまからのメッセージなのだから。修道女は震える身体を全力で抱きしめた。大丈夫大丈夫、ああそれでも。口もとから嗚咽がもれる。

 修道女は水が好きだ。水で手を洗う。腕に水をたらす。水を口に含む。水が舌を洗う。潤い色づきはじめた唇を修道女は指で押してみた。神さまは水のことをどう考えているのだろう?神さまは水の無い子どもたちをどのように洗うのだろう?水の無い子どもたちはどうやって空を見るのだろう?
 水を使って修道女は食器を洗い、洗い桶を洗い、バケツに水をため布を絞った。曇ったガラス窓を拭くとキュッキュッと鳴った。キュッキュッのリズムを修道女は好きになった。リズムにのり、彼女の素敵な細い足首は軽やかなダンスをはじめるのだった。

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