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ベトナムの思い出はぼったくりと優しくなりたいと思うようになった自分との出会いだった話。

“悪いところじゃなくて良いところを見よう”

よく言われるし、大事なことだし、こう考えた方が幸せな未来が待ってるはずだってこと、頭では理解できる。

でもまえてぃーは昔っから1つでも嫌なことや辛いことがあると全てが嫌で辛いというオーラに支配されてきた(*´-`)

帰る家がある。

けど、なんで1人部屋が無いんだ。

ご飯が食べれる。

けど、なんでパンじゃなくてご飯なんだ。

学校に行ける。

けど、なんで勉強なんてしなきゃいけないんだ。

友達がいる。

けど、なんでイジメとかあるんだ。

仕事がある。

けど、なんで働かなきゃいけないんだ。

お金が稼げる。

けど、なんでこれだけしかもらえないんだ。

夢がある。

けど、なんで努力しなきゃいけないんだ。

生きてる。

けど、なんで生まれたんだ。

。。。

分かってしまう人はいるだろうか。

このベトナムでもハロン湾も見れたし砂漠にも行けた。

妖精がいそうな谷にも行けたしフォーもコーヒーも毎日とっても美味しかった。

でも、ぼったくられたことでベトナムの全てが嫌いになりそうだった。

…。

が、ふと振り返る。

すると、優しくされたことの方がよっぽど多いということに気づく。

バス停を降りる時に教えてくれた運転手さん、スリに気を付けてと注意してくれたお兄さん、けん玉を一緒にしてくれたフォーのお店の店員さん達、バスの予約をしてくれたお姉さん、フォーの作り方を教えてくれたおばちゃん。。。

圧倒的だ。

もちろんこう考えることで、ボラれたお金が返ってくるわけじゃない。

でも助けても、親切にしても、決してお金にならない私を助けてくれた人がとってもたくさんいたということくらいは分かる。

そしてそう感じることで、私も誰かに優しくなれたらと思うし、その気持ちを行動に移せるようになりたいと思った。

旅人で、言葉もろくにしゃべれない私が異国の地で何かできるなんて思えない。

でも、美味しいご飯に“美味しいです”って言ったり、道を案内されたら“ありがとう”って言ったり、順番を譲ったり、その国のステキなところを言ったり、毎日出会う人と笑顔で過ごすことで、誰かが笑顔になれたり、誰かが自分の国をもっと好きになれたらいいなと思う。

“悪いところじゃなくて良いところを見よう”

私にとってこの言葉は、相手を良く見ようとする言葉じゃなくて、自分がどれだけ支えられてるかを知る言葉であり、誰かに優しくしたくなる言葉だと感じた。

ベトナムの全てに“カムオン(ありがとう)”

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