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毒の付いた鎖(1)

新作の小説です。「チ。」を読んでたら思いつきました。ではどうぞ。


 少なくともここは灰色に満たされていない、とぼくは感じた。それは辺りを見渡したがゆえに得ることが出来た結論だった。どちらかと言えば白色に近く、もっと言葉を言い換えるなら、おしゃれなマンションのようにコンクリートを打ちっぱなしにしたような。そんな色合いだった。ただ、見えている景色はどこかモノトーンでおおわれているように思えてならない。雨が降りそうな外を眺めながら、教師の話を聞いている午後の授業のよう。それなのに、ここには日常がない事は確かだ。やがて、扉が開き気難しそうな顔をした男がぼくの前にどっかりと座った瞬間に、その確からしさは確信へと変わる。ぼくはこれから、取り調べを受けることになるのだから。いくつかの間があって、ようやく男は口を開く。彼は、自らの名をキムラと名乗った。
「これから取り調べを始める」
「よろしく」
「君みたいな若い子にもこういう思想がねぇ」
「若いかどうかなんて関係あるんですかね」
 左側にある白に近い灰色の壁を眺める。傍から見れば、ぼくの態度はひどく透かしたような、人をおちょくっているかのような。そういう態度に見えるだろう。だが、キムラと名乗る彼は関心がないのか腹に怒りを鎮めたのか。そうした態度を全く見せないまま、ぼくと相対していた。
「では、なぜ君は捕まったのか分かるかな?」
「ワクチンプログラム未登録者だから。表向きはね」
「表向き? 罪に表も裏もあるか」
「確かに。でも色々とバレちゃいけない事ってあるでしょ」
「スパイにでもなったつもりか」
「そんなつもりはないですよ」
「ならばそういう不用意な発言は慎むことだ」
 ぼくの目の奥をずい、と一瞥してからキムラは書類に目を落とした。
「君もウイルスを偽物だの統治のための手段だのと言うつもりか? まるで反乱軍だな」
 そうやって笑いながら、キムラの言葉が続いた。
「ああ、そういう話もありましたね。別にあれが本物でも偽物でも茶番であっても、別にぼくにとってはどうでも良いんですよね」
「どういうことだ?」
 書類から目を上げたキムラは、またぼくの目の奥を探る。恐らく彼は、尋問としては凄まじく優秀なんだろうなということだけぼくは思った。

 この少年を見た時、私はいわゆる若いが故に周囲と違うことをやって目立とうとする類の者だろうかと感じた。得てしてティーンエイジである彼らはそうした表向きの顔とは裏腹に裏の顔を持とうとするものだ。彼もまた、同じように目の奥から感じたのは果てしなく昏い色をした瞳にしようとしているのが私には分かった。全てを見透かそうとしている目。傍から見れば受け答えはとてもしっかりしていたし、また家族や担任らにはひどく従順な少年のように感じられたわけだが。
 私はそんなひねた人間というのが嫌いだ。かつて、海の向こうに何があるかと語り合ったあの男のことを思い出すから。それから海の向こうへと消えていってしまったことを思い出してしまうから。たった一人で自ら舟を漕ぎながら、消えていった男。あの時もまた、天からの災厄によって人と人とが遮断される。そんな時代だった。
 思うとこの10年という歳月で、私たちの世界はいくつもの災厄に見舞われた。私たちの街は10年前に大きな地震により海へと沈み、そこで生活を営んでいた者たち全てが生活することすらままならなくなった。やがてそれらは復興という形で多くの人々の手と手を取り合うきっかけとなったわけだが、そのふれあいすら奪われたのが今世界中で起きているパンデミックだった。
 ある大陸から運ばれたウイルスは、瞬く間に私たちに襲い掛かり、そして数々の命を奪い去って行った。感染力が強く、感染した者は隔離され、そして世の中は人と人とが触れ合うことすら許されない時代へと変貌を遂げたのだった。賑わいを見せていた街並みはやがて静寂が訪れ、娯楽やそれまで私たちの何気なくあった日常も大きく変貌を遂げた。
 その象徴が、マスクとワクチンだった。政府はマスク着用を奨励し、着けていない者は吊るし上げられ、糾弾されるようになっていった。すぐさまワクチンが作られ、やがて摂取することを義務化されるようになり、次第にパンデミックが沈静化していくと思われていた。だが、ウイルスはどういうわけか消えないまま今も尚、私たちの生活の中で自分たちがいつ感染するのかという恐怖心もそこに介在していた。
 ワクチンが作られ、やがて私たちはそれらを打ちはじめ、大きく騒がれていたようなパンデミックは消え去って行った。だが、生活は同じように営まれているようで確実に変わっていた。マスク着用を義務付けられ、私たちは汚れることをひどく畏れるようになった。その中で、次第にそれらに反発するものも生まれ始めていた。マスクなんてしていても意味がないという考えを持つ者や、ワクチンについて異を唱える者も現れた。やがてそれらは日常の中にある争いの火種となり、やがてそれは物理的な形に変貌を遂げることになった。大半がワクチンを打ち、マスクを着用している中でワクチンを打った者とそうで無い者を区別し、取り締まるようになった。ますます反発が大きくなると、ワクチンを打たない者が徐々に蜂起しやがて首都軍によって鎮圧をされるようになっていった。
 かつて平和を愛していた私たちの国は、自らの正しさのためにたかだか下らない理由で争いを始めることとなったのだ。ワクチンを打てば、それで済む話だというのに。そして、調書に書かれた少年……ヒロイハヤトと書かれた少年もまた、ワクチンを打たない国民として今私たち首都軍の尋問を受けることとなっていた。
「君もまた、このウイルスが茶番だと信じている。だからこそ、ワクチンを打たないとかいうつもりなんだろ?」
 彼のような子どもは何人もいた。だが、いざ尋問してみればワクチンプログラムにその名前が乗っていることが大半だった。所詮こいつもただほざいているだけだろう。そう感じていた。
「さっきも言ったじゃないですか」
 ヒロイハヤトは口を開いた。ややうんざりとした口調で。

(2)につづく

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