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風になる(2)

ということで、6あるうちの2です。
1はこれ

自分、ラップも好きなんですけれどBALA a.k.a SBKNの「流星」、しっかり聴いてみたんですけどめっちゃ格好良かったです。貼っておきます。

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 スマートフォンがブルブル震えながら、目覚めを促そうとしていた。もう少し寝ていたい気持ちもあるけれど、そろそろ起きないと。そう思いながら、私はタイマーを止めた。太陽の光が差し込む窓からは、芝生だけの空地が広がっていて、お地蔵さんが私を眺めていた。そろそろ起きないと。まだぼんやりとしたままの私は、まず最初に布団を片付けるところから始める。チサトさんからメッセージが入っていた。
『おはよう。今日はお休みなので、自由に過ごしてね。冷蔵庫にあるものは食べて大丈夫だよ』
 分かりました、という返事とスタンプを押して、布団を片付ける。洗濯物も溜まってきたし、今日は掃除と洗濯をしっかりとやるとしよう。そう思いながら、私は今日もただ暇を持て余す。お給料はあんまり出ないんだろうな。そんなことを考えてしまう私は少し罰当たりなんだろうか。しんとした長屋の畳が敷かれた一間で、私はまるで溶けてなくなりそうになっていたひと月前を思い出す。
 あれから実家に帰ってきたはいいものの、ママは昔恋していた人と恋をやり直そうとしているようで、その恋人も一緒に住むようになっていた。のけ者にはされていないけれど、どこか私には入ることができないバリアーのようなものがそこにはあって。気にされていない、なんて言うつもりはないけれど、私はもう大人なんだからと突き放されているような。そんな気分にさせられてしまう。だから、人目を盗んでこっそりと夜や朝にテレビを見たり、食事をしたりするのだけれど、ママや恋人の目がどうしても気になって、私はどうしても気が引けてしまう。人はそれぞれに事情があり、時間が経過すればするほど、家でさえ居場所ではなくなる。突然すべてを放り出された私は、まるで宇宙空間に放り出された宇宙飛行士そのものだった。
 その宇宙はあまりにも広すぎて、行く場所に誰もが彷徨う。目的地も信用も、誰かの後ろ盾も。そういったものが何一つ定まっていないままそこへと飛び出せば、誰からも受け入れてもらえず、相手にもされず。私はただ一人で歩いていくしかない。全てを分かったようなふりをして身ぎれいにしていた私のその姿は、所詮ただメッキを塗りたくられた張りぼてそのものだったのだ。私は今までそうやって、張りぼてのまま居場所を求めて彷徨い歩いていたのだ。
 大人になると、途端に居場所がなくなると思う。子供の頃は砂場や学校や、友達の家やどこかに所属しなければ、あるいは金を払わなければ。時間の消費さえままならないうえに、居場所を作ることなどできないのだと。今更ながらに分かってしまった。結局は何かしらの対価を払わない者に、場所が提供されることなど、ない。
 思うと、大学時代も無理やり居場所を求めていた節はあった。ここに所属をしていれば、自分は経営学を学ぶことができる。この人についていけば、自分も行く行くは経営者となることができる。どこかで同級生や定職にもつかないでフラフラとしている人を見下していた節はあった。居場所のない人間に同情をしていたのだろう。見ないようにしていた。そして、そうやって居場所を見つけてはそこで安心をしている私自身がいた。ただ私は、所属していることだけで安心をしてしまっていたのだ。本当に安心かどうかなんて、分かるはずもなかったのに。
 とにかく居場所を見つけないことには時間を潰すことでさえ億劫になってしまう。つなぎでもなんでもいいから、アルバイトを探さなければならなかった。居場所がなくなったということから、そうしたメッキが徐々にはがされていっているのが、私にはわかっていた。とにかくどこでも良いから時間を潰さなければならない。その矢先、小さな古民家に明かりが灯っているのを発見した。
 そこから漂うコーヒーの匂い、女性の微笑む姿、そして畳張りの部屋で寝ころびながら漫画を読み、コーヒーを飲んでいる男性。手作りっぽい看板には「純心」と書かれてあった。私は気が付くと扉を開け、そしてまるで流れるようにコーヒーを頼み、それから気が付いたら横になって、同じようにモモを読んではぼんやりとしていた。
「あ、お客さん。今日はもう終わりですよ」。そうチサトさんに言われるまで。気が付くと、時計の短い針は11を指していて、もう帰る時間となっている。クスッと微笑みながら、チサトさんは笑う。
「でも、ちょっとだけ人間に戻ってきましたね。良かった」
 そう続けながら。
「人間、ですか?」
「どこか、魂が抜けているようにも見えたから」
 私の顔を覗き込んで、心配そうに話をつづけた。それはケイ以外で久々に聞いた、体温のある言葉。業務的でもなく、必要以上に角も丸みもない、暖かな言葉。私は、思わず口を開いてしまった。
「ここで働かせてもらえませんか!?」
 あの時の私は、もう焦りやら何やらできっとチサトさんには変な人に思われていただろう。だけれど、チサトさんはにっこりと笑って快諾してくれた。それから私はここで住み込みで働くようになっていた。
 チサトさんの行動は私にとっては今まで見たことのない、本当に驚くべき人だった。土日祝日は休みのはずなのに、突然スマホでメッセージが来て「お店やろっか」と連絡が入ったり、突然お店を閉めたかと思うと「試しにクッキーを作ってみてよ」と言われたり。一番驚いたのが、お店を開店させる10分前にメッセージが入り「今京都にいるから」と言われたこと。
 本当は突拍子もなく動き回る人は私が好きな人間ではないのだけれど、その風のような振る舞いに私は呆気に取られて、それでも温かさにどこかホッとしていた。こうして、住み込みで働くことを勧めてくれたのも、チサトさんが私にしばらくはここに住んで良いよ、と言ってくれたから。きっと私の魂が、抜け出てしまわないようにするための彼女の温かさの一つだったんだと思う。布団を干しながら、私は彼女に心から感謝している。
 掃除を終えて布団を取り込もうとした瞬間、目に飛び込んできたのはシャネルのバッグ。無機質でおしゃれなそれに、私は唇を噛む。まだケイはそこにいると思いながら。

(つづく)

~過去作品~

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