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風になる(1)

ちょっと今書いている小説があまりにも長くなり過ぎたんで、分けて書くことにします。
書いていたら、ブリグリの「Bye Bye Mr.Mug」を聴きたくなったので、乗っけておきます。


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 私が育った町は、いつも海に近かった。自然のまま残された島には橋がかけられて、多くの観光客が行き来し、少し電車に乗れば古民家が広がる街へと繰り出すこともできる。どういうわけか、私たちの地元は元より東京に近いせいか観光地としてにぎわっていた。大きく広がる海岸線を沿うようにして私鉄線とローカル線が走っていて、夏場は良くにぎわう。ただ、冬場になるとその人影を大きく減らし、どこか寂しい街並みが広がる。栄枯盛衰なんて言葉があるけれど、人生生きていればそうやって必ず枯れて衰えていく時というのが訪れる物なんだと教えてくれた場所でもあった。
 少しずつ日が温かくなる春、多くの人たちであふれかえる夏、寂しさが増してくる秋に、人っ子一人いなくなる冬。海はいつでも「海」であるはずなんだけれど、灰色の世界を見せるときがあれば、輝かしい程青々とした世界を見せることもある。夜は、ただ街灯や灯台の電球だけがグルグルと回っていて、その時によって表情が変わる。行って、戻ってくる音だけが、いつもいつも私を包んでくれているようで。
 東京で仲の良かった同級生も、高校で仲の良かった同級生も。こんな日中にぼんやりとしているなんてことないよな、なんて思いながら私はそれでもただ海を眺めてはいつだって心の中にある小さな何かを蓄えて帰る。
 海岸線の遠くに見える小さな島は無機質なほどきれいな緑色を眺めながら。

 私がこの街に帰ってきてから、早くも一か月が経とうとしていた。放心状態のまま、電車に揺られて海の見える地元に帰ってきたとき、私は私が映っている顔をガラス戸に透かして眺める。その目は死んでいて、その遠くにゴオと灰色の海がただ唸っているのだけが見えて。
 大学時代から3年も続いていたケイとの関係は、たった一本の電話、しかも不倫だったという衝撃の形で終わりを告げた。高校からパパとママが別々になってしまった私の家族は、パパから一方的な形で別れを告げられて終わってしまった。そのことを引きずることが多かったママは一つとして構ってもらえなかったことをまるで昨日のことのように引きずることが、最後は日課となっていたのだ。
 蛙の子は蛙、私も同じような物だったのだろう。メタルフレームを基調にして青の線が入った電車は疲れ切った私の顔とため息を残して、竜宮城の駅へと向かって進んでいく。
 最後、ケイが結婚していたということを知った時の私のショックは相当だった。
「ねえ」
「どうしたの」
「どうして、何も言わないの?」
「何を?」
「私、分かってる。あなたが結婚していたこと。それと指輪を外していたこと」
「うん。だからアリサは悪く無いよ。だけど、ぼくも悪くない」
「そうやって、最後まであなたは自分を正当化するんだね」
「でも、アリサのことは好きだったよ」
「そういう言葉でお茶を濁さないでよ」
「もうやめようよ、こういうの」
「何を」
「せっかく積み重ねてきた思い出さえも、台無しになる」
「もうなってるわよ」
 おんなじやり取りを何度繰り返しただろう。彼から聞くことが出来た言葉は結局、まるでレコーダーで何度も録音された留守番電話サービスのようにしか聴こえなくて。結局、ケイは嫁と幸せになる選択をし、私は都合のいい女として切られてしまったのだけれど、そこからが最悪だった。嫁は私の不倫を内容証明で送り付け、一切の弁明も無いまま会社から一方的に自主退職を薦められた。せめてもの意地でお金だけは取ってやったけれど、これも手切れ金のようなものと思われていたのだとしたら、何となく癪だった。今どきまとめブログでもこんなにとんとん拍子に行くだろうかなんて思いながら、私は気が付くとすべてのものから放り出されてしまっていた。
 大学生の時からずっと一緒にいたケイが、そうやってあっという間にいなくなってしまったことによるショックは甚大だった。ママのような弱い人間になりたくなくて、強くて格好いい女性に憧れて。それに惹かれて、思うと大学時代から色々と活動をしてきた。学生団体にアルバイト、外部のフリースクール、自己啓発。ありとあらゆることをとにかくがむしゃらにやってきた。
 その過程でケイは私のそばに居てくれて、自分のことのように私の成功を喜んでくれて。そのフリースクールでの活躍が評価されて、引き抜かれる形で就職が決まった私のことも、お祝いしてくれて。だけれど、それは一瞬にしてすべてを崩れさせていった。私は体よく使われていただけで、結局ママのように弱い人間の一人だったんだと気が付かされて。ちょうどいいタイミングで契約が切れるので実家に帰ることとなったのだけれど、そうでもしないと本当に消えてなくなりそうになってしまっていた。ケイのことが好きだった私と、ケイに優しく抱きかかえられた思い出と。
 玄関を空ける音がして、笑いながら帰ってきたよと言われることに期待している私は、ただその時までをぼんやりと眺めることしかできない。時々、ケイに就職祝いとして勝ってもらったシャネルのバッグが目に入って、ため息をつく。引っ越しの間際までそんな一日が続いていた。高校の時の友達とかが手伝ってくれて事なきを得たのだけれど、今どきSNSにそんな格好の悪いことなんてできないと、そんなことを思いながらただシャネルのバッグを眺めてため息をついていた。ママがパパと別れた時にも、引っ越しの作業が一切終わらないままぼんやりしていたのを思い出す。ママはワイングラスを眺めてはため息をついていた。きっとママも、あのワイングラスはパパからもらったに違いないんだ。
 とにもかくにも、私はそういう理由から海の見えるこの町に帰ってきた。
(つづく)

~過去作品~



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