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好きなものを見つけること

先日、つばきファクトリーのライブビューイングに行ってきました。
コンサート中、二時間以上ほとんど口角上がってニコニコしてる自分がいます。気付くと笑顔やったり涙流したりしてる。ちょっと気持ち悪いかもしれんけど、みんな舞台しか見てないしな。

コンサートの帰り道、なんか終わるとすぐ現実に戻ってしまうな、なんか勿体ないなみたいな気持ちになったんですけど。
でも帰宅して鏡の前でライブ中の自分の顔を再現してみたら、すごく嬉しそうでいい顔だと思いました。
終わると元の日常に戻っちゃうように見えるけど、二時間超をほとんどいい顔して過ごせることってあんまりないなと。
その場の今をいい顔して楽しむこと。これが効能かもしれません。
それってすごいセラピーみたいなことかも。


何かにつけて時間をかけた対価を求めるような思考になってしまってるな。映画見て、読書して、楽しかったけどすぐ忘れる。特に学んだことない、みたいな。

学びって、すぐに役立つこととか大きく価値観を変えるような気付きとかばっかりではない。
ムダについての本(『ナマケモノ教授のムダのてつがく』)を読んでいる影響で、自分がムダ・怠惰と判断してたことってそうじゃないんじゃないかと考えるようになってきました。
私はハロプロを好きになって、人それぞれに違う魅力があること、一人一人に合うものがあること、そういうことをいつの間にか学んでいると思います。

娯楽にばかり時間を割いた時に出てくる罪悪感。それは「やるべきこと(宿題とか仕事とか)をしていない」みたいな状態に対してかも。でも娯楽から得られる楽しさとか学びはたくさんあって、単に現実逃避の道具だったり「やるべきこと」をした人のみに認められる報酬として扱うのは勿体ないんじゃないか。

役に立つことじゃないこと(どういう基準?)はムダで、ムダは排除すべきという価値観。
何もしないことが悪という価値観はしんどい。何かした方が楽しいのは分かる。充実感がある。でも何もしないときも楽しいねん。というか何もしてなくない。寝たり食べたり読んだりしてる。


そんな感じのことを鏡でいい顔見てからぼんやり考えて、寝たら忘れるので夜更かししてガーッと書いてました。

ふと気づくと口角が上がってるときって、好きなことなんですよね。キュウリとキーウィの絵を描いてるときも、ニヤニヤしてた。
自分の好きなことはこういうところに隠れてる。それに気づいて、好きなものを沢山見つけたいなと思いました。
せっかく見つけた好きなものは大事にした方がいい。なかなかどっぷりハマれない私は特に。

キュウリとキーウィ
すきなものをみてるとき、いつのまにか笑ってる。

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