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中田敦彦と西野亮廣の違い

一部の界隈をざわつかせているこの騒動。
オリエンタルラジオの中田さんがダウンタウンの松本さんに物申す動画を投稿し、それが芸人界隈をざわつかせています。

今回は、よく中田さんと同じくくりで語られるキングコングの西野さんを引き合いに出しながら、ひっそりと彼ら二人のオンラインサロンに身を置き、世間一般よりは近い距離で二人の人間性を見てきた自分が、中田さんの人間性や心理について考察(妄想)し、今回の騒動について個人的な考えをまとめてみたいと思います。

というか二人の人間性の違いにだいぶ多くの文量を割いた上で、それを踏まえて最後にちょろっと今回の騒動について考察している感じの記事です。よければお付き合いください。

ネアカでストリート育ちな西野と根暗でオタク気質な中田

多分世間一般的にほぼ同じくくりで語られる両者ですが、オンラインサロンに入っていたこともあり、彼らの違いについてはそれなりの解像度で理解している自負があります。

その上で、(一旦事実の如何は置いておいて二人の違いを簡単なイメージとして伝えるなら、)西野さんはストリート上がりでガキ大将的な野性味あふれるアーティストなのに対し、中田さんは根暗でオタクで孤独な優等生ビジネスマンとまとめられる気がしています。

一見明らかに中田さんをディスってるようにも見えるかもしれませんが、決してそうではなく、むしろ人間として彼の方に共感や憧れを持つ人も多いと思います。(ちなみに私は両者とも仲良くなれそうな気がしませんが・・・)

ここでの人間性のイメージがこのnoteの結論にまでつながっているので一旦頭に入れておいてもらえたらと思います。


交友関係が広い西野と引きこもり気質な中田

陽キャな西野さんはイメージ通り交友関係が広く、ビジネスマンから評論家、舞台芸術のプロや役者まで様々な人と積極的にコミュニケーションを取っていることを語っています。
それは彼が行うサロンの発信においても垣間見ることができ、彼が行うアクションはその末端だけを見ると奇抜で突拍子もないものに思えるものも多くあります。

例えばクリエイターの権限を素人に丸投げした「バンドザウルス」というプロジェクトや、日本の古い飛行機を買い取って一棟貸しのホテルを建ててしまう、自宅を建設して一般人に開放する、など。
しかしその背後にはきちんと一貫した論理性があり、その種明かしをされるたびに驚かされます。
このあたりのことは西野さんが最近出した著作に詳しく書かれています。2時間くらいで読めます。

これはおそらく彼自身が積極的に世界を飛び回り幅広い界隈の人たちとの交流から多くの知識を得た上で、その潤沢で多様なインプットから打ち手を編み出しているため、私のような凡人にはアウトプットだけを見ても到底理解が及ばないものになるのかもしれません。
言い過ぎかもしれませんが、彼の行動や打ち出すビジネスはアートに近い。

一方で中田さんは西野さんに比べると交友関係が狭く、中田さん自身も積極的に交友関係を広げていこうというタイプではないようで、色んな人と常に交流し、意見交換しているというよりは、一人で黙々と考えて答えを導き出すタイプに思えます。

交友関係はほぼテレビ業界関係者かサロンメンバーに限られているようにも見受けら、さらに彼らとも定期的に連絡を取り合って情報交換や相談をしているわけでもなく、主にアイディアの発想や決断は自分ひとりで行うのが常。

そして中田さんのアクションというものは、西野さんに比べるとよくも悪くも「理解可能」ものに落ち着いている印象があります。
YouTubeでの番組企画も、サスティナブルなアパレルブランド展開も、昨年不発に終わった漫画プロジェクト(→note)も、音楽活動も、いずれも他の芸人やタレントに先駆者が居たものだし、その行動の妥当性に関しては西野さんに比べて圧倒的に理解しやすい。
よくも悪くも打ち手に「これ何?」が少ない。

それは、西野さんが様々な抽象的な知識を組み合わせて新しい打ち手を考えてようとするのに対し、中田さんの場合は世の中にすでに存在するアイディアの中で自分が取り組みたいものをピックアップして(一部アレンジはしつつも)そのまま取り入れていく、というスタイルが基盤になっているからであるように感じます。

ただあくまでここで語っているのはアイディアの質感の違いの話であって、そのアイディアを極限までクオリティ高く実現する力は両者に優劣はないし本当にすごい。RADIO FISHの黄金時代って曲がめちゃくちゃカッコいい。

まぁとにもかくにも、西野さんに比べれば中田さんは非常にリアリストで合理的なビジネスマンというイメージを個人的には強く感じます。

両者を比較して語るとどうしても西野さんが魅力的!という論調になってしまいがちですが、実際は我々世間一般人に近い思考をしている中田さんのほうによりシンパシーや好感を持つ人も少なくないと思います。

そもそもいつも元気で交友関係が広いリーダー的な人よりも、ちょっと影があってオタク気質な人のほうが近づきやすくないですか?いや、中田さんも近づきやすい人間かと言われると微妙かもですが、

このあたりから二人の人間性の違いをさらに深ぼっていきます。


界隈に飛び込むパリピ西野と、主従関係を求める孤独な中田

中田さんの場合は自分を中心とした主従関係をベースとした人間関係を求める側面があります。

それは彼が発案するプロジェクトにおいては絶対的に中田さんが中心で、そのプロジェクトの遂行のための人員確保という側面が強く出てしまうからだ、と考察しています。

それは中田さん自身が主役でいたいという思いも非常に強いでしょうが、彼より優秀なマネージャーでかつ熱を持った夢想家がいないという「中田が優秀すぎる問題」も多分にあると考えられます。

だから常に中田さんの頭の中には「自分が必ず上に立たなければならない」という思いが意識的か無意識的か存在し、それらが交友関係にも現れているような気がしています。
交友関係が芸人やサロンメンバーなど自分が扱いやすい人間が中心になりがちになってしまうのもその弊害のような気がしてしまいます。

それを自覚してなのか、一時千原ジュニアなどの先輩芸人や古舘伊知郎や糸井重里などの先輩芸能人と言った明らかに目上の方との対談企画を立ち上げたこともありましたが、それもあくまでYouTubeの企画どまりで、そこからプライベートでも意見交換をするような継続的な友好関係が築けているようには見受けられません。

ホリエモンのような例外的な人は少数いるようですが、やはり全体的な印象は「自分が扱いやすい人」、もっと言うと「自分が優位な立場に立てる関係性の人」との人間関係の輪の中に閉じこもっている印象を受けます。

一方で、西野さんは(中田さんのような自分中心的な考えはもちろんあるとは思いますが)テレビの世界から飛び出して多くの人と交流を深めている印象があります。

それは彼の発信からも見受けられ、各界の大御所レベルの人から、ブロードウェイなど我々が知らないような世界の人まで多くの人の名前が継続的に挙がってきます。

それは西野さんが「自分が知らないことを教えてくれる人がいる環境」に意識的に身を置いているからのようにも思えます。言い方を変えれば、プライドを捨てて教えを請う立場に意識的に回っている、とも言えるかと思います。
そういった部分が先程触れたアウトプットの奇抜さ、斬新さにもつながっているように感じます。

中田さんも西野さんのように自分が心地良く安心できるオンラインサロンメンバーに固執せず、多少傷つく覚悟ででも外の世界の人材にまで手を伸ばすことをしていたのなら、もしかしたら曼荼羅東京の企画は継続できていたかもしれません、とかエラソーにも思ったりしています。


「世界がどうあるべきか」を問う西野と「自分がどうありたいか」を問う中田

フラットに書くと宣言しつつも西野アゲっぽい論調になってしまっておりすみません。西野さんのちょっと受け付けられない部分も個人的にはあるんですが(逆に中田さんに好きな部分も多いですが)、なかなか今日の議論の趣旨にハマるポイントがなく一旦このまま進めさせてください。

西野さんのアイディアや行動原理の根幹には「世界はこうあるべきだ」という意思を感じられます。
それは今ある課題を解決する、というソリューションを提供すると言うよりはもっと強い「自分が理想とする世界はこうなんだ!」というアーティスト的な表現の意味合いが強いようにも感じます。
そしてそのためには、世界中を飛び回り色んなコミュニティへ潜り込み、その地域や社会の性質、属性を汲み取りながら自分の理想とする世界を夢想しているように感じます。

一方で中田さんの行動原理は「理想の自分となるにはどうすれば良いのか」という考えがより強いように思います。
常にその時々の自分の理想の姿があり、そこに対して足りないものを補うにはどうしたらいいのか、自分の情熱を阻害する問題は何なのか、という思考にわりと囚われがちな印象を受けます。

自分という1人の人間を中心とした思考に立脚しているため、世界をどうしたいという大きな意思や周囲との共存共栄などという意識はあまり見えません。
それ故に、松本人志というお笑い界の六法全書に切り込んだ今回の騒動は一見すると「世界はこうあるべきだ」という西野的な意見表明にも見えますが、個人的にはその本質は違うところにあるような気がしています。

一方そのようなむき出しの貪欲さに人間味がある、という見方もでき、そこに魅力を感じるファンも少なくありません。本人がその辺を自覚的に主張しちゃう部分はちょっとサムくもありますが、とは言えそういった究極的に自己中で欲深い姿を恥ずかしげもなく晒し続ける中田さんの周りには彼に熱狂するファンが集まり続けています。


「中田の乱」は不安症で寂しがりな男の叫び

二人の人物像の比較をダラダラと続けてしまってますがここでようやく本題に入ります。今回の中田の乱はなぜ起きたのか、に関しての個人的な想像と妄想です。

それは中田さん自身が非常に完璧主義者であり、神経質で不安症、寂しがりな側面があるという部分に起因している気がしています。
不安だからこそ誰かを攻撃して自分の正しさを自覚したい、寂しいから自分の主張に賛同者がいることを確認したい、というもの。

中田さんの発信を一定期間見続けていた自分なりの感想ですが、彼の本質には孤独への不安と劣等感が常につきまとっているように感じていました。
自分を大きく見せたり他人を卑下したりする中田さんの話芸は、そんな彼の心の裏返しのようにも感じます。

そんな彼だからこそ、精神の安定・拠り所を求めるがあまり自分の人間関係の輪の中に閉じこもってしまっていた印象があります。
そして人は誰しも関係性が狭ければ狭いほど、その関係性への依存度を高めてしまいます。

現にオンラインサロンの環境に中田さん自身が依存しすぎているような一面も時折感じました。
サロンメンバーの一挙手一投足に反応し、増減するメンバー数に神経を尖らせ、その空気がサロン内に広がりまた人が減り、、という悪循環がいつからかうっすらとサロン内に影を落とすようになっていました。

中田さんのサロンから離れてしばらく経ってしまっているので内部の事情は全く分からないものの、最近の動画配信(特にトークチャンネル)の内容を見ていると、薄っすらとサロンの運営もうまくいっていないのかなぁと感じていました。言葉の節々に虚勢が見え、そこから中田さんの焦りのようなものが見える気がしました。

そして2023年5月29日、冒頭の動画が公開されました。

ここでの中田さんの主張に対して、自分は当事者じゃないためその妥当性は当初わかりかねていたのですが、世間の声としてはあまり賛同を得られていないように見受けられます。
とは言えこういった世間からの批判は想定内だとは思っていたため自分が気になっていたのは中田さんと比較的近い立ち位置にいるような人たち(西野さん含む)の意見でしたが、彼らの意見もまた中立かやや否定的な立ち位置の人が多かったように感じます。

これに対しては少し中田さん自身も予想外だったのではないでしょうか。

ここ半年ほど、中田さんの言葉の節々に見え隠れしていた焦りの正体は分からないのですが、何かが彼を不安に駆り立て、もっと多くの、これまで自分を見てくれていなかった人からも賛同を得たいと焦って打った一手が大きく空振りしてしまったように見えています。

一応「The Second」という新しい企画が立ち上がったというタイミングではあったものの、主張の根拠としては「なぜこのタイミング?なぜ今更?」という疑問が拭い去れません。

この動画に関しては「炎上商法だ」という声だったり、逆に「これには巧妙に仕組まれた何か意図があるんだ」と言ってその真意を複雑に勘ぐるような意見をたまに目にしますが、自分はもっとシンプルに「不安で寂しかったから」なのではないかと考えます。

バッシングは覚悟の上でも、それ以上に新たに自分に賛同してくれるであろう少なくない人間の存在を感じることで一時の安息を得たかった。けれども予想に反して賛同者が現れなかった。
結構中田さん自身傷ついているんじゃないかと勘ぐっています。彼の本心は本人のみぞ知る、ですが。


もっと軽く言えばよかったのに

中田さんの動画が発表されて1週間あまり。様々なYouTubeのざわつきを見た自分が僭越にも中田さんに意見をできるのであれば、あんな仰々しい長尺動画にしなければよかったのに、ということです。

なんかトークチャンネルとかでサラッと軽く言ってみる感じだったら今回のような大事にはならなかったように感じます。先日のあちこちオードリーでも同様に大御所に対して物申すような発言をしていたものの、そちらはその場の軽いノリも相まってぷち炎上程度に収まっていました。

本当に優秀な方なので、うろたえる姿はファンとしてあまり見たくないなぁと感じている脱サロン会員のぼやきでした。


時折くる「めっちゃ長文書きたいモード」に入ってしまい、凝りもせずだらだらと駄文を書き連ねてしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

万が一この記事の反響よければ、二人のサロンの比較記事のようなもの書いてみようかなぁと思ったりしてます。反響なければまた通常営業に戻ります。

では。

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