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中田敦彦×ボカロ×漫画プロジェクト"曼陀羅東京"が失敗しそうと思う理由

2022年5月14日にあっちゃんことオリラジの中田敦彦さんがボカロ楽曲と漫画を組み合わせた新プロジェクトを立ち上げたようです。

YouTubeで大成功を収めながら新たな面白い打ち手をガンガン出してくる中田敦彦さんの姿は大好きで非常に勇気づけられるものです。

さらにもともとボカロファンだった自分はプレミア配信の告知を見つけてすぐさまリマインダ登録し、大きな期待を胸にプロジェクトの説明を聞いていました。

そしてやはり彼のYouTubeを見るとその論理性や今このプロジェクトやるべき妥当性が彼の抜群のトーク術によってめちゃくちゃ納得させられてしまいました。

しかし、ボカロ楽曲と漫画を拝見した自分の今のところの感覚では正直このプロジェクトは失敗に終わるかも・・・と思ってしまいました。

もっと具体的に自分の予想をまとめると、

・6~8話作ると明言しているためそこまでやって終了
・もしかしたら6話で打ち止めになる
・紙のコミックスは出るかもしれないが、それ以上の展開は難しい
・動画内で語っていたアニメや映画と言ったエンタメへの進出はキビシイ

という印象です。あくまで第一話と一曲目を聞いた5月15日時点での印象です。
一方で「楽曲のみバズる」などプロジェクトの一部分が成功を収めて、以降はそこだけに注力する、というような未来もあるかなぁと思いました。

このプロジェクトをきっかけに「ムーブメントを起こすこととは何なのか」を改めて考えさせられたので、自分がなぜこのプロジェクトが失敗しそうと直感したかを、自分の頭の中を紐解いてまとめようと思います。

ボカロ曲と漫画を組み合わせたエンタメハックプロジェクト

本題に触れる前にまずさらっとだけ中田敦彦さんが立ち上げたプロジェクトについて説明します。

ちなみに詳細を知りたい方は上で貼った動画と以下の公式サイトを参照ください。

先程のYouTubeでも述べられていた通り、従来のレコード会社主体の音楽市場と出版社主体の漫画産業が衰退の一途を辿っている現代に一石を投じるプロジェクトとして立ち上がりました。

音楽は無料で配信し、歌ってみたなどの二次創作をしやすくするため動画素材なども惜しげもなく配布する徹底ぶり。漫画ももちろん無料で、スマホから気軽に読むことができます。

この「1話1曲」のスタイルで毎月1話ずつ、全6~8話を作り上げ、それらをコミックスやアニメ、ゆくゆくは映画へとつなげていき、世界中へ日本の文化たる「マンガとアニソン」を届けたい!というもの。

そのストーリーは南海トラフ巨大地震が起きた崩壊の危機に瀕する日本で、特殊能力に目覚めた一部の若者がテロ集団を組織して渋谷を占拠し、独立宣言を行った世界のはなし。主人公はそれらに対抗する政府側の組織に属する女の子で、彼女が組織や仲間に支えられながらテロ集団に立ち向かうというもの。

ところどころに中田敦彦さんのYouTube大学で取り上げられたテーマも散りばめられながら、YouTube大学ファンも楽しめるような仕掛けが入れ込んである点は面白いと思いました。


理由1:ターゲットがずれてる

ここからなぜこの企画が失敗すると思ったかという現時点での考察を述べようと思います。

まず、この点は本人が自覚的にやっているのかなぁと思いつつですがそもそもとしてYouTube大学の視聴者層とこの企画のターゲット層にズレを感じてしまいました。

YouTube大学のターゲット層は明らかに30~40代、かろうじて20代後半くらいではないでしょうか。

それはYouTube大学のコンテンツを見れば明らかで、投資などのお金のことや健康、政治の比重が高く、たまに取り上げるマンガも取り扱っている作品はジョジョやエヴァ、スラムダンクなど30代以降が関心を寄せるものがほとんどです。

しかし今回の企画はボカロ曲×マンガ。マンガ自体は年齢層が広くYouTube大学が抱える視聴者層との乖離は少ないように思いますが、ボカロ曲はなかなかキビシイように感じます。

ボカロ曲に対して今最も熱量があるのはより若い20歳前後くらいの若者たちで、YouTube大学で伝えるメッセージがその層にまで響くのかは未知数です。

ただこの点に関しては恐らく中田さん自身も自覚的にやっているような気がしています。次回のWinWinWiiinのゲストがコムドットという点からも、比較的実験的にあえてターゲットのドンピシャのラインを外した打ち手を出しているような気もしています。

いずれにせよ、実験として非常に興味深いとは思いつつも中田敦彦という巨大コンテンツが活かしきれているのかどうかは疑問符が残る打ち手であることは間違いないような気がしています。


理由2:漫画家のミスマッチ

色々自分も気になってこのプロジェクトに関する反応をサーチしていたのですが、この意見はかなり多かったように思いました。

ただ、最初に自分がまず言いたいのは、今回担当された漫画家さんの他の作品も拝見した上で非常に実力のある作家さんだと自分は思っています。各キャラクターのデザインは素敵だし、女の子はカワイイ。
それでいて適度な抜け感もあるため、イラストなどで二次創作したくなる余白があることも魅力的です。

しかしその作家さんの実力とこのプロジェクトのミスマッチに大きな問題があるような気がしています。

まず、この曼陀羅東京というマンガは、中田さんも話している通り「バトル漫画」と銘打っています。

しかし、マンガを見てみてもどうもその肝心のバトルが分かりづらい。

敵と味方のキャラがどのような動きをして、どのような駆け引きがあるのか。身体の動きや場面の展開が分かりづらく、バトルに集中することができません。

ただ、これを作家さんの実力不足と片付けてしまうのは酷で、やはりこのマンガの設定にこの作家さんを指名した采配に原因があるような気がしています。

作家さん自体は日常系のほのぼのとした作風を得意としており、このようなバトルの描写の経験はほとんどなかったように見受けられます。

そのような作家さんに対していきなり「バトルを描いてくれ」というのはかなり酷な内容です。水墨画の画家に「萌え絵を描いてくれ」と言うに近い。それでもここまでなんとか頑張って描いている、というような無理をこの漫画から自分は感じてしまいました。

最初に挙げた動画でも語られた「王様ランキング」というマンガを引き合いに出すのであれば、たしかに王様ランキングも絵は非常にコミカルでバトル描写もお世辞にも優れているとは言い難い出来であることは間違いありません。

ただし、王様ランキングの場合はあくまでバトルはサブで、メインはその背後にある人間の葛藤や重厚なストーリーにあります。しかし曼陀羅東京にはそういった濃密な設定や人間描写は今のところありません。

もしかしたら今後そういった部分が補完されていき、より強いコンテンツに成長する可能性はあるかもしれませんが、王様ランキングは1話目からきちんとそのあたりの事情が見え隠れする巧妙な「引き」が設計されており読者がどんどん引き込まれていくような仕掛けがきちんとなされていました。

ネットで様々なエンタメや娯楽があふれている現在、第一話目でどれだけ読者を引き込むかの重要性は語るまでもありません。

しかし曼陀羅東京の第一話ではどうしてもそのようなフックとなるようなものが乏しく、2話目以降まで人が関心を持ってくれるかどうかは微妙な印象を受けました。「今はまだ隠している」状態なのかもしれませんが、その「隠している」ものへの期待感が1話目を読んでもあまり沸き立ちませんでした。
この漫画の特徴であるバトルの中で様々な能力(曼陀羅)が発動しているもののそれらに対しての説明は特になく、また能力としても漫画を見る限り興味をそそられたり魅力を感じるようなものでは少しなかったように感じます。

さらに月一の連載というのもあり、今でこそリリース直後の熱気はあるものの、それが1ヶ月後にどれほどにまでなっているかを想像するとこのプロジェクトの行く末の厳しさを感じてしまいます。


理由3:クリエイティブの方向性がバラバラ

これは理由1,2にも関連する、それらを統合するようなこのプロジェクトの最も根幹にある問題に思う部分だったりします。

ここまでの内容を簡単にまとめます。

●ターゲット
YouTube大学は30~40代メイン ↔ ボカロは20歳前後がメイン

●漫画
物語の世界観はシリアス系バトル  ↔ 漫画家は日常系ほのぼのな作風

そしてここまで触れてこなかった楽曲についても言及するのですが、こちらもやはり一見非常によくできているように感じます。

サビから始まり、耳残りの良いイントロが鳴らされ、Bメロではサビで使われるような王道進行で(あたかもサビがすでに来ているかのように)一気に聞き手をまくし立てて、サビで転調させることでBメロでの高揚感をさらに一段階押し上げるような楽曲構造になっています。聞き手を「これでもか!」と飽きさせまいとする作り手の熱意を感じます。

しかし自分はどうしてもやはり違和感が拭えませんでした。

この曲と漫画の第一話がどうも頭の中でリンクしない。

漫画の第一話は「南海トラフ巨大地震後の日本にてテロ集団の若者と対峙する少女」というシリアスな内容にも関わらず楽曲はポップでハイテンション。

主人公の強い感情を感じるような魅力的な楽曲ではあるものの、本編ではそのような描写は皆無で漫画を読んでからこの曲をどう受け取れば良いのか非常に困惑してしまいました。この話があってこそのこの曲だ、という納得感が薄い。

確かによく聞いてみれば歌詞の内容はなんとなく漫画の内容を反映しているし、一方でポップでハイテンションな曲調は非常にボカロ曲のトレンドを取り入れたものとして完成されており双方に妥当性は感じられます。
しかしそれらがまとまっていない、全く別々の方向性を向いているように感じてしまいました。

漫画のタッチや楽曲はポップでコミカル、一方その根幹たる物語の世界観や楽曲の歌詞はシリアスでその広告塔たるYouTube大学のメイン視聴者層は30~40代。

どうもこのプロジェクトの屋台骨となるような思想や哲学が掴みきれない印象があります。それぞれの部品は素晴らしいものだけれど、最初に部品だけを作ってしまってから家を建てようとしているような、そのような歪な設計構造を感じてしまいました。

そうなると当初中田さんが標榜していたようなボカロ楽曲と漫画による相互作用が非常に生まれづらくなっている気がしています。

そのためこのプロジェクトの帰着点の予想の一つとしては、楽曲だけバズってそれ以外はほとんど定着しないような未来もありえるように思います。

相互作用を起こすにはそれぞれの部品の世界観の接合が非常に重要です。

この中田プロジェクトと引き合いに出されているであろうかつて存在したボカロの"カゲロウプロジェクト"は、物語と楽曲の作者が同じだったため物語と楽曲との世界観の繋がりが強く、それぞれの相互作用を生み出して大きなムーブメントを起こした好例に感じます。

一方、物語と楽曲作者が違う例としてはジョジョの奇妙な冒険のアニメでは1部、2部と主人公と物語が変わっていく漫画の構成に合わせてアニメオリジナルのOPテーマがしっかりと作り込まれていたためジョジョファンから広く受け入れられていたりしました。

しかしここで述べたような「思想や哲学の接合」がこのプロジェクトのクリエイティブ間で弱く、結果プロジェクト全体の印象が散漫としてしまっているように感じてしまいました。


マネージャーがどこまでディティールに口出しするか問題

ここからはさらに想像の割合が多くなりますが、方向性が定まっていない印象とは矛盾するようですが中田さんのマネジメントが強すぎた部分の悪い側面も出てしまっているような気もしてしまいました。

漫画もボカロ曲も非常にクオリティは高いものの、その先にある漫画家、楽曲制作者の作家性が死んでしまっているように感じました。

クリエイターはクライアントの要望に応えるデザイナー的な側面と、自分にしかできない表現や得意な技術、自身に内在する混沌としたエゴをぶつけようとするアーティストの側面を持ち合わせており、それらの割合を自分とクライアントの相互で納得する落としどころを探りながら作品を作り上げます。

今回の場合は中田さんの力が強すぎるあまり、クリエイター側も自身のアーティスト性を殺して中田さんの思いを表現しようとデザイナー的な振る舞いに徹しすぎてしまったが故になんとなく印象に残りづらいプロジェクトになってしまったような気もしてしまいました。

漫画は不得意な分野への無理なチャレンジに足を踏み入れた上、流れとして若干不自然で読みづらい部分もありました。(冒頭の二郎のシーンや車でのきんつばのシーン、敵に捕らえられたときの「キッスうんぬん」のセリフなど、、)
楽曲も非常にボカロ楽曲のツボを抑えているがあまり別の見方をすれば、どこかであったような部品の組み合わせにも聞こえてしまう印象も一方でありました。(もちろんどこまで中田さんのマネジメントが及んでいたのかはわかりかねるのですが、。)

とはいえ、プロジェクトオーナーはその責任のもとに自分が表現したい世界観を共有してクリエイターをそれぞれマネジメントする必要があります。

このさじ加減が非常に難しいのだろうなぁと思いました。

マネージャーが自分の表現したい方向性を示さなければ各クリエイターの方向性が定まらない、しかしガチガチにマネジメントしてしまうと作家性が失われて作家に無理をさせたり作家性の死んだ凡庸なものになってしまう恐れがある。

さらに言うと自分の経験上での強いマネジメントあるあるなのですが、意外とそのようなマネージャーは根幹の思想よりもプロジェクトの枝葉部分のディティールに凝りすぎてしまう傾向があるようにも一方で感じています。全体最適化よりも部分最適化にばかり気を取られて、全体の屋台骨が定まらなくなってしまう。

今回ももしかしたらマネージャーたる中田さんがディティールのマネジメントに力を注ぎすぎたのかも、と妄想してしまいました。

マネージャーがディティールまでこだわって作品を作り込もうとする姿勢は素晴らしいです。世界をひっくり返すほどのクリエイティブを世に生み出すためには、ある側面では独裁的・独善的なマネジメントが間違いなく必要です。

しかし一方で、細かい部分にまで口出しをすればクリエイターの自由度がなくなり創造性が殺される危険性を孕んでいるだけではなく、マネージャー自身も俯瞰した視点でプロジェクト全体を見渡すことができなくなることが往々にしてあります。

このような難しい舵取りを迫られる中、このプロジェクトがどのような顛末を迎えるのかはボカロファンとして、YouTube大学ファンとして観察していきたいと思いました。

恐縮です!お友達になってください!!